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カテゴリー:その他
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誕生寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
誕生寺は曹洞宗の宗祖・道元禅師が生まれたとも言われ、境内には道元禅師産湯の井戸があります。なお道元禅師は無限の修行が成仏の本質とする「修証一如」、坐禅に打ち込むことが悟りに至る唯一最高の修行とする「只管打坐」を唱えた。 -

勝手神社(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
勝手神社には伝承が残っています。来迎院南坊開祖が吉野山に参詣した際、小童子の明神が神輿に乗ったことで動かなくなり、声明(しょうみょう)を唱えたところ神輿は動くことができ、南坊は声明の鎮守社に勧請しというものです。 -

春日大社(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
春日大社は西軍総大将・山名宗全(やまなそうぜん)が応仁の乱の際に戦勝祈念して祀ったとも言われています。その際には1987年(昭和62年)を最後に行われていない御当(おとう)が戦勝祈願に行われたとも言われています。 -

竹林寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
竹林寺の延命地蔵菩薩は恵心僧都(えしんそうず)・源信(げんしん)作と言われています。地蔵菩薩は貧しい竹林業の男が日頃から篤く信仰し、閻浮檀金(えんぶだごん)の珠を授かって竹林長者になったことから竹林地蔵と言われました。 -

地福寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
地福寺の阿弥陀如来坐像は行基(ぎょうき・ぎょうぎ)作と言われ、かつては峯ヶ堂・中山寺にあったが、子院であった地福寺に移されたと言われています。なお阿弥陀如来坐像は2009年(平成21年)に京都市指定有形文化財に指定されました。 -

心光寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
心光寺を建立した陰陽師・安倍晴明は賀茂忠行・保憲父子に陰陽道・天文道を学んで天文博士になり、朱雀天皇・村上天皇・冷泉天皇・円融天皇・花山天皇・一条天皇の側近として仕え、安倍家を賀茂氏と並ぶ陰陽道家にしました。 -

大応寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
大応寺は嵯峨天皇の后で、檀林寺を創建したことから檀林皇后とも言われた橘嘉智子が建てた悲田院跡と言われています。なお悲田院は聖徳太子が孤児や身寄りのない老人を収容する施設を造ったのが起源です。 -

大歓喜寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
大歓喜寺には中御門天皇の第7皇女・天巌永皎尼(永皎女王)が葬られています。天巌永皎尼は1742年(寛保2年)に剃髪し、1769年(明和6年)に紫衣を許され、上京区の尼門跡寺院・大聖寺(だいしょうじ)を中興しました。 -

大興寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
大興寺の本尊・薬師如来坐像(薬師瑠璃光如来)は仏師・運慶作と言われ、江戸時代には名薬師のひとつに数えられ、芝薬師と言われました。なお大興寺は応仁の乱の際、西軍総大将・山名宗全(やまなそうぜん)の本陣が置かれました。 -

高雲寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
高雲寺ゆかりの惟喬親王(これたかしんのう)は第55代・文徳天皇の第1皇子だったが、摂政・藤原良房(ふじわらのよしふさ)の娘・明子が第4皇子・惟仁親王(これひとしんのう・清和天皇)を生むと皇太子争いに敗れ、大宰帥などを歴任した後に出家し、洛北に隠棲しました。 -

清凉院(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
清凉院ゆかりの徳川家康の側室・お亀の方は清凉院の場所にあった御殿で徳川家康の九男で、尾張徳川家の始祖・徳川義直(とくがわよしなお)を生んだと言われています。なお徳川義直は東照宮を勧請して尾張(名古屋)東照宮を建立しました。 -

善行院(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
善行院(西陣の妙見さん)は洛陽十二支妙見めぐりの第1番札所です。洛陽十二支妙見めぐりは京都御所・紫宸殿を中心に十二支の方角に祀った妙見宮を巡って福寿開運を祈願します。なお善行院は子(ね)の方角に当たります。















