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カテゴリー:その他
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法伝寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
法伝寺の薬師堂に安置されている薬師如来坐像は行基(ぎょうき・ぎょうぎ)作と言われています。行基は民衆に仏法の教えを説き、寺院や道場を建立するだけでなく、困窮者の為に布施屋の設立などの社会事業を広く行いました。 -

養林庵(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
養林庵は臨済宗から曹洞宗に改め、宝鏡寺(ほうきょうじ)の末寺から天寧寺(てんねいじ)の末寺になりました。なお宝鏡寺は京都尼五山・筆頭の景愛寺(けいあいじ)の子院で、天寧寺は曹洞宗の開祖・道元禅師が洛中に創建した三か寺のひとつです。 -

隆彦院(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
隆彦院の本坊・勝円寺(しょうえんじ)は寺伝によると1504年(永正元年)に浄土宗の僧・安誉が開山し、その後空誉が塔頭隆彦院(りゅうげんいん)・達誉が塔頭普恩院(ふおんいん)・信誉が塔頭良松庵(りょうしょうあん)を創建しました。 -

真如寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
真如寺ゆかりの無外如大(むげにょだい)は安達泰盛の娘で、北条顕時の妻だったが、霜月騒動で安達一族が滅亡し、夫が配流になった為に得度しました。なお無外如大は他の僧が修業に専念できないほど美人だった言われています。 -

南陽院(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
南陽院ゆかりの豊田毒湛(とよだどくたん)は東光寺・晙桑(しゅんそう)によって出家し、潭海玄昌(たんかいげんしょう)の法を嗣ぎ、南禅寺327世になりました。なお南禅寺は大明国師・無関普門が開山しました。 -

恋塚寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
恋塚寺は袈裟御前の住まいがあった場所です。袈裟御前は渡辺左衛門尉源渡の妻で、夫の従兄弟・同僚であった文覚上人(遠藤盛遠)に横恋慕され、自ら夫の身代わりとなって殺されました。なお袈裟御前は「貞女の鑑」と言われています。 -

道入寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
道入寺(修学院の妙見さん)は洛陽十二支妙見めぐりの第3番札所です。洛陽十二支妙見めぐりは京都御所・紫宸殿を中心に十二支の方角に祀った妙見宮を巡って福寿開運を祈願します。なお道入寺は寅(とら)の方角に当たります。 -

東北院(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
東北院の本尊・弁財天は伝教大師(でんぎょうだいし)・最澄作と言われています。782年(延暦元年)桓武天皇の鎮護国家の守護神についての問いに最澄が大弁財天と答えたことから勅によってを彫られ、禁裏の北東に祀ったと言われています。 -

徳正寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
徳正寺のある場所はかつて戦国武将・細川勝久(ほそかわかつひさ)の邸宅があったが、応仁の乱(1467年~1477年)で西軍から火を掛けられて焼失しました。なお徳正寺の境内には「題徳正寺細川井」と記された碑があります。 -

般舟院(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
般舟院は右京区の二尊院(にそんいん)・北区の遣迎院(けんこういん)・上京区の廬山寺(ろざんじ)とともに四箇本寺(御黒戸四箇院)に数えられ、宮中の仏事を司っていました。なお京都御所には「黒戸の間」が残されているそうです。 -

白蓮寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
白蓮寺は空也上人(くうやしょうにん)が創建したと言われ、空也ゆかりの寺と言われています。空也上人は自ら十一面観音を刻み、観音を車に乗せて市中を曳き廻し、常に市井にあったことから市聖(いちのひじり)・市上人と言われました。 -

福應寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
福應寺を創建した遍昭(へんじょう)は第50代・桓武天皇の孫で、第54代・仁明天皇に仕えたが、850年(嘉祥3年)に出家して花(華)山僧正と言われました。なお遍昭は歌人としても知られ、六歌仙・三十六歌仙のひとりに選ばれています。













