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カテゴリー:その他
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善正寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
善正寺を建立した日秀尼(にっしゅうに)は豊臣秀吉の実の姉で、関白・豊臣秀次の実の母でした。1595年(文禄4年)秀次が切腹し、夫・三好吉房が讃岐に流された後は聚楽第を出て、本圀寺16世・日禎(にちじょう)によって得度しました。 -

善導寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
善導寺の境内にある三尊石仏(釈迦如来立像・弥勒菩薩立像・文殊菩薩立像)は嵯峨・清凉寺(嵯峨釈迦堂)の本尊を写したものと言われています。なお清凉寺(せいりょうじ)の木造釈迦如来立像(三国伝来の生身のお釈迦様)は国宝です。 -

蔵泉寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
蔵泉寺は1582年(天正10年)山崎の戦いで豊臣秀吉に敗れた明智光秀が滋賀坂本に逃げる際に一時隠れていたとも言われています。なお明智光秀は伏見小栗栖の本経寺(ほんきょうじ)近くの竹薮で竹槍で刺されたと言われています。 -

浄蓮華院(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
浄蓮華院の南東には縄文時代晩期の遺跡とされている谷口古墳があります。谷口古墳は桓武天皇陵とも伝えられていました。なお現在桓武天皇陵は伏見区桃山町永井久太郎にある柏原陵(かしわばらのみささぎ)に治定されています。 -

瑞芳寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
瑞芳寺は1615年(元和元年)徳川家康から土地を与えられた江戸初期の書家・陶芸家・芸術家である本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)の屋敷に隣接していました。なお鷹峯には光悦ゆかりの光悦寺(こうえつじ)もあります。 -

正定院(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
正定院は下嵯峨の材木商・福田家が創建したこともあり、幕末の勤皇派材木商・福田理兵衛(ふくだりへい)の墓があります。福田理兵衛は長州藩の御用達になり、1864年(元治元年)の禁門の変(蛤御門の変)では長州軍に加わりました。 -

得浄明院(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
得浄明院ゆかりの信州善光寺大本願第117世・誓圓尼(せいえんに)は伏見宮家19代・邦家親王の第3王女で、還俗を強要されたが拒否して善光寺大本願の住職になり、寺院を神社に改めることにも抵抗したそうです。 -

八瀬天満宮社(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
八瀬天満宮社の祭神・菅原道真は右大臣になるが、901年(延喜元年)左大臣・藤原時平の讒言(告げ口)によって太宰府に左遷され、903年(延喜3年)に亡くなりました。なお菅原道真の死後、悪疫が続き、道真の怨霊の仕業と恐れられました。 -

静原神社(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
静原神社は上賀茂神社・下鴨神社と関係が深く、両社の祭礼である葵祭(賀茂祭)に使われる二葉葵はかつて静原神社から採取されました。なお葵祭の名称は二葉葵を桂の小枝に挿し飾ることに由来しています。 -

称名寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
称名寺には1926年(昭和元年)に桑原家から移された「弁慶石」が本堂近くにあります。「弁慶石」の上では源義経(牛若丸)と武蔵坊弁慶が主従の盃を交わしたと言われています。なお「弁慶石」はかつて鞍馬寺にあったとも言われています。 -

慈雲寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
慈雲寺(島原の妙見さん)は洛陽十二支妙見めぐりのひとつです。洛陽十二支妙見めぐりは京都御所・紫宸殿を中心に十二支の方角に祀った妙見宮を巡って福寿開運を祈願します。なお慈雲寺は申(さる)の方角に当たります。 -

慈眼堂(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
慈眼堂のある嵯峨には公家で、歌人であった藤原定家が山荘を構え、小倉百人一首を選定したと言われています。なお定家は1201年(正治3年)に和歌所の寄人に選ばれ、「新古今和歌集」の編纂に加わり、「新勅撰和歌集」を編集しました。















