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カテゴリー:その他
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一ノ保社(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
一ノ保社の祭神・菅原道真は右大臣になるが、901年(延喜元年)左大臣・藤原時平の讒言(告げ口)によって太宰府に左遷され、903年(延喜3年)に亡くなりました。なお菅原道真の死後、悪疫が続き、道真の怨霊の仕業と恐れられました。 -

山国護国神社(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
山国護国神社ゆかりの農兵隊・維新勤皇山国隊は1868年(明治元年)の王政復古の大号令に呼応して結成され、山国神社で出陣の誓いが行われました。その後1868年(明治元年)11月25日に京都に凱旋し、1869年(明治2年)2月18日には出迎えが見守る中、鼓笛を奏でながら京都から山国に凱旋しました。 -

四宮大明神(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
四宮大明神ゆかりの人康親王(さねやすしんのう)の御所・山階宮は四宮大明神近くの十禅寺(じゅうぜんじ)にありました。なお御所・山階宮は859年(貞観元年)人康親王を開山として、十禅寺に改められました。 -

西院野々宮神社(アクセス・マップ・歴史・・・)
西院野々宮神社の野々宮(野宮)は天皇の代理で、伊勢神宮に仕える斎王が伊勢へ向かう前に身を清めた場所です。なお斎王は未婚の皇女・女王から選ばれ、宮中の初斎院で1年間、野々宮(野宮)で1年間身を清めて伊勢神宮に向かったそうです。 -

栖賢寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
栖賢寺は「摂津名所図会」によると豊臣秀吉が山崎の戦い(山崎合戦)の際、松に腰を掛けて軍令を定めと記されています。なお1582年(天正10年)山崎の戦いでは備中高松城から引き返した豊臣秀吉と織田信長を討った明智光秀が戦いました。 -

川上大神宮社(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
川上大神宮社の祭礼・川上やすらい祭りは1001年(長保3年)は疫病が流行した際、川上地区の住人が鬼に扮し、今宮神社の疫社に疫病の退散を祈願したことが起源です。なお川上やすらい祭りは一時途絶えたが、元禄年間(1688年~1703年)に再興されました。 -

京都神田神社(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
京都神田神社ゆかりの平将門は下総北部で勢力を拡大し、東国に独立国を築いて自らを「新皇」と称したが、藤原秀郷と平貞盛に討たれて平安京に送られ、官営市場東市・都大路で獄門に掛けられたと言われています。 -

久我神社(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
久我神社は古代豪族・久我氏の祖神だったとも言われています。しかし大和葛城から木津川・鴨川を遡って北上してきた賀茂氏の賀茂社に包接されたと言われています。なお賀茂社は上賀茂神社(賀茂別雷神社)・下鴨神社(賀茂御祖神社)です。 -

長福寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
長福寺ゆかりの慈覚大師(じかくだいし)・円仁(えんにん)は伝教大師(でんぎょうだいし)・最澄に師事し、最期の14年間を仕え、第3代天台座主になりました。なお円仁は入唐八家(円仁・最澄・空海・常暁・円行・恵運・円珍・宗叡)の一人です。 -

大酒神社(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
大酒神社(広隆寺)で旧暦9月12日の丑の刻に行われていた牛祭りは由岐神社の鞍馬の火祭り・今宮神社のやすらい祭りと合わせて京都三大奇祭と言われました。なお牛祭りは恵心僧都・源信が摩多羅神を勧請して始めたと言われています。 -

江文神社(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
江文神社は古代から江文山(金毘羅山)の頂上で、朝日が一番早く照る場所に祀られ、平安時代後期に現在の場所に移されたとも言われています。また江文神社は毘沙門堂江文寺という神仏習合の宮寺であったとも言われています。 -

岩神神社(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
岩神神社のご神体・巨石(霊石)には怪異現象の伝承が残されています。巨石を二条城辺りから内裏の築山に移そうとした時に吠えたと言われています。また小僧に化けて神泉苑(禁苑)で怪をなし、禿童石(かむろいし)とも言われました。











