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カテゴリー:その他
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七観音院(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
七観音院を創建したと言われている七条院殖子(しょくし)は藤原信隆と藤原休子の娘で、建礼門院に仕え、高倉天皇の妃として後鳥羽天皇を生みました。なお七条院殖子は1205年(承元元年)に出家して真如智と称しました。 -

実報寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
実報寺ゆかりの日尊(にちぞん)は幼くして天台僧として出家し、日蓮六老僧の一人である日興(にっこう)に師事するが、1299年(正安元年)に破門されました。ただ日尊は後に赦されたそうです。なお日尊の弟子には日尹・日大がいます。 -

寂庵・瀬戸内寂聴(アクセス・マップ・・・)
寂庵を開いた瀬戸内寂聴(せとうちじゃくちょう)は東京女子大学在学中に見合い結婚し、女の子を出産したが、夫の教え子と恋に落ちて夫と3歳の長女を残して家を出ました。なお寂聴は作家として1956年に処女作「痛い靴」を発表しました。 -

西福寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
西福寺には文人・上田秋成の墓(生前墓)があります。上田秋成の妻・たま(瑚璉尼)が九条出身で、西福寺の住職・玄門(げんもん)と懇意になり、秋成が自ら生前に西往寺を墓所にすることを決めたと言われています。 -

西迎寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
西迎寺ではかつて西国三十三箇所巡りの「うつし霊場」を巡った西の岡三十三所巡りが行われていたが、明治維新後の廃仏毀釈によって次第に廃れました。なお西迎寺は現在京都洛西観音霊場(洛西三十三所観音霊場)の第4番札所です。 -

西方寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
西方寺では檀家が船形保存会を結成・世襲し、五山送り火に数えられる船形(船形万灯籠)に奉仕しています。例年8月16日に行われる船形終了後、西方寺の境内では六斎念仏(念仏六斎)が奉納されます。 -

西法寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
西法寺の起源である安居院(あぐい)では信西(藤原通憲)の子・澄憲(ちょうけん)や信西の孫・聖覚(せいかく・しょうかく)らの名僧が住み、神仏の功徳を説いて信仰を勧める安居院流の唱導が作り出されました。 -

西養寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
西養寺の本堂は京都市指定有形文化財で、市内にある浄土真宗本願寺派の寺院の中の最古の建築物と言われています。なお本堂は黒漆黒塗・金箔貼りなどの彩色塗装が施された浄土真宗の典型的な装飾になっているそうです。 -

西林寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
西林寺ゆかりの坂本龍馬の妻・お龍は龍馬暗殺後に西村松兵衛と再婚したが、遺言によってお龍の遺骨は龍馬の墓(京都霊山護国神社)と菩提寺である西林寺に分骨されました。なお西林寺の遺骨は子孫によって天龍寺塔頭・寿寧院に移されました。 -

三縁寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
三縁寺には宮部鼎蔵・松田重助・吉田稔麿など1864年(元治元年)の池田屋事件犠牲者の墓があります。なお池田屋事件では長州・土佐・肥後の尊攘派志士ら20数人が近藤勇・沖田総司らの新撰組に襲撃され、宮部鼎蔵ら9人が殺害され、多数が負傷しました。 -

金蓮寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
金蓮寺ゆかりの浄阿真観は時宗四条派の祖で、後伏見上皇の女御・藤原寧子(広義門院)の難産に3枚の護符を与え、量仁親王(光厳天皇)が誕生したことから金蓮寺がかつてあった四条京極の祇陀林寺(ぎだりんじ)跡を賜りました。 -

光念寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
光念寺の「腹帯地蔵」は常盤御前(ときわごぜん)が源義経(牛若丸)の安産を祈願する為に光念寺と合寺した地蔵寺に寄進したと言われています。なお光念寺周辺には源義経産湯の遺跡碑など常盤御前・源義経ゆかりの遺跡があります。














