- Home
- 過去の記事一覧
カテゴリー:その他
-

延仁寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
延仁寺は1263年(弘長3年)に亡くなった浄土真宗の開祖・親鸞聖人が荼毘(火葬)に伏された場所とも言われています。なお遺骨は京の三大墓地・鳥辺野の北の大谷の墓に納骨され、墓は石造の笠塔婆の周りを木の柵で囲んだものだったそうです。 -

黒谷青龍寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
黒谷青龍寺ではかつて浄土宗の開祖・法然上人が学んだと言われています。その後法然上人は比叡山を下りて金戒光明寺に隠棲し、「黒谷のご上人」とも言われました。なお黒谷青龍寺は浄土宗では元黒谷とも言われています。 -

観空寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
観空寺ゆかりの嵯峨天皇は桓武天皇の次男で、809年(大同4年)に即位し、823年(弘仁14年)に譲位して上皇御所・冷泉院などで過ごしました。なお嵯峨天皇は漢詩文を好み、弘法大師・空海と橘逸勢と合わせて、三筆と言われました。 -

愛染院(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
愛染院は本尊・愛染明王坐像を安置していることから愛染院と言われるようになりました。なお愛染院では愛染明王坐像以外にも重要文化財である十一面観音立像・大日如来像・弘法大師・大黒天・歓喜天も安置しています。 -

安養寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
安養寺を創建したと言われている円仁(えんにん)は最澄を師事して14年間仕え、838年(承和5年)に最後の遣唐使として唐に渡り、847年(承和14年)に仏典・金剛界曼荼羅などを持ち帰り、854年(斉衡元年)に第3世天台座主に就きました。 -

為因寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
為因寺の阿難塔は明治維新後の廃仏毀釈による破壊から守る為、善妙寺境内(高雄小学校)に埋められていたが、小学校の工事によって発見されました。なお阿難は釈迦の十大弟子の一人で、女人で初めて出家を認められました。 -

慰称寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
慰称寺を開基したと言われている慰樵(いしょう)は阿弥陀仏の霊像を得る為、中国唐の僧・善導(ぜんどう)の像を買い入れました。すると「梅畠」に誘引せよとの夢告があり、慰樵は像を背負って筑後から山城高尾梅畠まで行脚しました。 -

一言寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
一言寺の本堂軒下には「ただ頼め 仏に嘘は なきもぞ 二言言わぬ 一言寺かな」という額があり、二願以上の願いごとなら成就せず、一言一念に願うと成就すると言われています。なお一言寺は「一言(ひとこと)観音」と言われました。 -

一燈寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
一燈寺の観音堂は端山(はやま)氏が守護し、葉山観音とも言われるようになりました。なお一燈寺では幕末に尊攘派志士・梅田雲浜(うめだうんぴん)が移り住んだそうです。ただ安政の大獄で逮捕第一号となり、拷問死しました。 -

霊光院(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
霊光院を創建したと言われている宗倩尼(そうせんに)は織田信長の妹で、お犬の方と言われていました。宗倩尼は美貌の誉が高かったが、三十余歳の若さで病没しました。なお龍安寺には宗倩尼の肖像が残されています。 -

龍雲寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
龍雲寺では1796年(寛政8年)信濃・善光寺の一光三尊仏阿弥陀如来像が御開帳され、信徒からの懇望によって阿弥陀如来像の模刻像が造られました。それ以降龍雲寺は桃山善光寺・新善光寺と言われるようになりました。 -

霊源寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
霊源寺は岩倉具視とゆかりがあります。岩倉具視は公武合体派として、和宮降嫁を推進したが、尊皇攘夷派から非難され、霊源寺で一時幽居になりました。なお岩倉具視は1862年(文久2年)霊源寺で出家して隠棲しました。














