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カテゴリー:その他
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大光院(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
大光院ゆかりの豊臣秀長は豊臣秀吉の実弟で、1564年(永禄7年)から秀吉に仕え、1575年(天正3年)には羽柴の名字を与えられ、その後豊臣の本姓を与えられるが、1591年(天正19年)大和郡山城内で亡くなりました。 -

大珠院(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
大珠院ゆかりの石川貞清(雲岳宗林)は豊臣秀吉に仕え、関ヶ原の戦いでは西軍・石田三成方に付きました。関ヶ原の戦い後は所領は没収されたが、池田輝政によって助命され、剃髪した後は茶人・商人として過ごしたそうです。 -

大通院(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
大通院は相国寺修行道場「専門道場」を兼ね、坐禅堂では修行僧(雲水)が日夜坐禅や托鉢に励んでいるそうです。なお相国寺は1382年(永徳2年)室町幕府3代将軍・足利義満が一大禅宗伽藍を建立することを発願したのが起源です。 -

多福院(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
多福院の開祖・鉄船宗熙(てっせんそうき)は義天玄詔(ぎてんげんしょう)に参じ、雪江宗深(せっこうそうしん)に印可されたが、諸国行脚していたところ特芳禅傑(とくほうぜんけつ)に惜しまれたと言われています。 -

仙寿院(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
仙寿院を創建した妙心寺196世・禿翁妙宏は洛北幡枝に庵・菩提院を結んで閑居していたが、後水尾天皇に土地を献上した為に仙寿院がある現在の場所を与えられました。なお後水尾天皇は洛北幡枝に幡枝離宮を造営しました。 -

慈氏院(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
慈氏院の達磨堂には達磨大師像が安置され、「達磨堂」・「だるま寺」・「おあしがよる大師」とも言われています。なお達磨大師像は足が見える立像の為、足とおあし(金銭)に掛けて、「おあしがよる大師」と言われています。 -

乗願院(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
乗願院の本堂は世界遺産である上賀茂神社(賀茂別雷神社)の境内にあった神宮寺観音堂を1869年(明治2年)に移したものです。なお本堂は双葉葵紋の蛙股などが施され、寛永年間の建築様式の特徴があります。 -

光源院(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
光源院の名称の由来になった室町幕府13代将軍・足利義輝は南禅寺で生まれ、1546年(天文15年)11歳で将軍に就き、1565年(永禄8年)松永久秀と三好三人衆が二条御所を襲撃した永禄の変により、29歳で亡くなりました。 -

玉龍院(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
玉龍院の法堂は1788年(天明8年)の天明の大火によって焼失する危険性があったが、法堂と開山堂に通じる廊下を破壊することによって焼失を免れたそうです。なお玉龍院は世界遺産である金閣寺・銀閣寺と同じく相国寺の塔頭です。 -

悟真寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
悟真寺には江戸時代の絵師・円山応挙と一族の墓があることから「応挙寺」とも言われています。なお円山応挙は10代の頃に狩野派・石田幽汀に絵を学び、1775年(安永4年)43歳の時に「平安人物志」では画家部第1位に記されています。 -

西源院(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
西源院は通常非公開だが、日本庭園を眺めながら精進料理を食べることができます。なお精進料理の「精進」は美食を戒めて粗食をし、精神修養をすることだが、一般的に肉類を使わない料理として用いられています。 -

西翁院(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
西翁院の茶室・淀看席(よどみのせき・澱看席)は茶室南面の窓から淀川が見えたことに由来しています。ただかつては本坊・金戒光明寺の山号に因んで紫雲庵(しうんあん)とも、反古庵(ほろぐあん・ほうぐあん)とも言われていたそうです。














