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カテゴリー:その他
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観空寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
観空寺ゆかりの嵯峨天皇は桓武天皇の次男で、809年(大同4年)に即位し、823年(弘仁14年)に譲位して上皇御所・冷泉院などで過ごしました。なお嵯峨天皇は漢詩文を好み、弘法大師・空海と橘逸勢と合わせて、三筆と言われました。 -

愛染院(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
愛染院は本尊・愛染明王坐像を安置していることから愛染院と言われるようになりました。なお愛染院では愛染明王坐像以外にも重要文化財である十一面観音立像・大日如来像・弘法大師・大黒天・歓喜天も安置しています。 -

安養寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
安養寺を創建したと言われている円仁(えんにん)は最澄を師事して14年間仕え、838年(承和5年)に最後の遣唐使として唐に渡り、847年(承和14年)に仏典・金剛界曼荼羅などを持ち帰り、854年(斉衡元年)に第3世天台座主に就きました。 -

為因寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
為因寺の阿難塔は明治維新後の廃仏毀釈による破壊から守る為、善妙寺境内(高雄小学校)に埋められていたが、小学校の工事によって発見されました。なお阿難は釈迦の十大弟子の一人で、女人で初めて出家を認められました。 -

慰称寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
慰称寺を開基したと言われている慰樵(いしょう)は阿弥陀仏の霊像を得る為、中国唐の僧・善導(ぜんどう)の像を買い入れました。すると「梅畠」に誘引せよとの夢告があり、慰樵は像を背負って筑後から山城高尾梅畠まで行脚しました。 -

一言寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
一言寺の本堂軒下には「ただ頼め 仏に嘘は なきもぞ 二言言わぬ 一言寺かな」という額があり、二願以上の願いごとなら成就せず、一言一念に願うと成就すると言われています。なお一言寺は「一言(ひとこと)観音」と言われました。 -

一燈寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
一燈寺の観音堂は端山(はやま)氏が守護し、葉山観音とも言われるようになりました。なお一燈寺では幕末に尊攘派志士・梅田雲浜(うめだうんぴん)が移り住んだそうです。ただ安政の大獄で逮捕第一号となり、拷問死しました。 -

霊光院(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
霊光院を創建したと言われている宗倩尼(そうせんに)は織田信長の妹で、お犬の方と言われていました。宗倩尼は美貌の誉が高かったが、三十余歳の若さで病没しました。なお龍安寺には宗倩尼の肖像が残されています。 -

龍雲寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
龍雲寺では1796年(寛政8年)信濃・善光寺の一光三尊仏阿弥陀如来像が御開帳され、信徒からの懇望によって阿弥陀如来像の模刻像が造られました。それ以降龍雲寺は桃山善光寺・新善光寺と言われるようになりました。 -

霊源寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
霊源寺は岩倉具視とゆかりがあります。岩倉具視は公武合体派として、和宮降嫁を推進したが、尊皇攘夷派から非難され、霊源寺で一時幽居になりました。なお岩倉具視は1862年(文久2年)霊源寺で出家して隠棲しました。 -

聴松院(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
聴松院ゆかりの清拙正澄(せいせつしょうちょう)は1326年(嘉暦元年)に中国から来朝し、鎌倉幕府執権・北条高時の招きで鎌倉・建長寺に住して禅規を刷新しました。なお摩利支尊天は清拙正澄が中国から招来したと言われています。 -

龍光院(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
龍光院ゆかりの滝川雄利の娘・龍光院の召使い・宗厳(そうごん)は娘が亡くなった後に出家し、塔頭・西雲院(さいうんいん)を創建して念仏三昧の生活を送ったそうです。なお宗厳は千日の別時念仏を修し、1万日の別時念仏を発願しました。












