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カテゴリー:その他
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妙順寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
妙順寺の境内には第81代・安徳天皇の産湯の井と言われている「釣殿井」があります。なお第81代・安徳天皇は平清盛の娘・建礼門院徳子(平徳子)と第80代・高倉天皇の第1皇子で、1歳4ヶ月で即位し、1185年(寿永4年)の壇ノ浦の戦いで、わずか8歳で崩御しました。 -

長仙院(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
長仙院は誓願寺(せいがんじ)の塔頭です。誓願寺は667年(天智天皇6年)天皇の勅願により、奈良に創建されたが、鎌倉時代初期に京都の一条小川に移り、豊臣秀吉の命によって現在の場所中京区桜之町に移りました。 -

本経寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
本経寺は「本能寺の変」で織田信長を討た明智光秀の終焉の地と言われています。なお明智光秀は豊臣秀吉との山崎の戦で破れ、坂本を目指して落ち延びる途中、本経寺近くの竹薮で落ち武者狩りに遭い、竹槍で刺されたと言われています。 -

住吉大伴神社(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
住吉大伴神社ゆかりの大伴氏(伴氏)は飛鳥時代からの武門の家で、物部氏とともに王城を警護したり、乱を平定したりしていました。しかし866年(貞観6年)伴善男 (とものよしお)は応天門の変で失脚すると伊豆に配流されました。 -

転法輪寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
転法輪寺の本尊・阿弥陀如来坐像は第115代・桜町天皇御追福の為に寄進されました。阿弥陀如来坐像は二丈四尺(約7.5メートル)もあり、1929年(昭和4年)に北野から現在の御室に移る際には市電の高架電線を切って移動させたそうです。 -

染殿院(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
染殿院の地蔵尊・染殿地蔵は第55代・文徳天皇の皇后で、摂政・藤原良房の娘・染殿后(そめどののきさい)が祈願し、17日目の満願の日に懐妊の兆候が現れ、惟仁親王(第56代・清和天皇)を生んだことから染殿地蔵と言われるようになりました。 -

宝福寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
宝福寺の陰陽石(子授けの石)はかつて伏見城にあり、豊臣秀吉と淀君が子授成就の祈願をし、嫡子・棄丸(秀頼)が授かったと言われています。なお陰陽石と金毘羅堂内の雙身歓喜天と合わせて祈願すると子授けのご利益がアップするそうです。 -

三嶋神社(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
三嶋神社には子授・安産のご利益があると言われています。平安時代に建春門院には皇子誕生がなく、ある夜夢中に翁が現れ、「汝に男子を授く 必ず日嗣たる可し 依って我を帝都巽の方に祀る可し」と告げ、建春門院は皇子を授かったと言われています。 -

安祥寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
安祥寺はかつて裏の山にある「上寺」と麓にある「下寺」があり、東西10町・南北15町に及ぶ広大な寺地を有していました。しかし安祥寺の創建を発願した藤原順子が亡くなると朝廷の庇護を失って次第に衰微しました。 -

本光寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
本光寺の門前では勤皇派の御陵衛士(高台寺党)・伊東甲子太郎(いとうかしたろう)が新撰組によって粛清されました。なお伊東甲子太郎は水戸藩士・金子健四郎(かねこたけしろう)に神道無念流剣術や水戸学を学んで勤王思想に傾倒したそうです。 -

法嚴寺・法厳寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
法嚴寺はかつて世界遺産である清水寺の奥の院と言われていました。清水寺開山である延鎮上人・賢心は夢告に従い、法嚴寺がある音羽山で伝承の僧・行叡居士の沓を拾い、清水寺の山号を「音羽山」にしたと言われています。 -

法蔵寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
法蔵寺は尾形乾山(おがたけんざん)の鳴滝窯があった場所です。尾形乾山は本阿弥光悦の孫・空中斎光甫や野々村仁清に陶芸を学びました。なお窯(泉谷窯)が御所の乾(西北)にあった為、作品に「乾山」の銘を記し、号にしました。














