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カテゴリー:その他
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光雲寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
光雲寺の庭園の北東には武将・加藤清正が朝鮮出兵の際に持ち帰り、東福門院(徳川家康の孫・徳川秀忠とお江与の娘である和子)から寄進されたと言われている瑪瑙(めのう)原石の手水鉢が据えられています。 -

正覚寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
正覚寺は伏見城の赤門が移され、「赤門さん」・「赤門」と言われるようになりました。なお正覚寺だけでなく、伏見城から移された資材が養源院・圓徳院・宝泉院・正伝寺・二尊院などの寺院や二条城でも使われています。 -

薬師院(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
薬師院は1230年(寛喜2年)全国に疫病が流行した際、住職の夢枕に薬師如来が現れ、「一切病苦の衆生、我が前に来らば諸病ことごとく除くべき。来也(こぬか)、来也」と夢告したことから「来ぬか薬師」と言われるようになりました。 -

正運寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
正運寺を開基とした飯田覚兵衛は武将・加藤清正に仕え、加藤家三傑(森本一久・庄林一心)の一人でした。また飯田覚兵衛は槍の使い手で、日本槍柱七本(小野鎮幸・本多忠勝・島津忠恒・後藤基次・直江兼続・吉川広家)の一人です。 -

寿延寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
寿延寺のパワースポット・あらいじぞう(洗い地蔵)は水を掛けて願うと病気が治ると言われています。なお寿延寺がある場所はかつて十禅師の森があり、平安時代に源義経(牛若丸)と武蔵坊弁慶が主従の契りを結んだと言われています。 -

法音寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
法音寺は五山送り火に数えられる左大文字の発祥地・旧大北山村の菩提寺とされ、法音寺では檀家が1920年(大正9年)に左大文字保存会を結成・世襲しています。法音寺の灯明が左大文字の親火になって点火されます。 -

竹林寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
竹林寺には1863年(文久3年)の但馬・生野の変で処刑された尊攘派志士・平野国臣や1864年(元治元年)の池田屋騒動で新撰組に捕えられた攘夷派志士・古高俊太郎などの勤皇の志士37士の墓があります。 -

祐正寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
祐正寺は洛陽四十八願所地蔵めぐり(京都四十八願寺)の第9番札所です。なお祐正寺の地蔵は妻取地蔵(妻娶地蔵・妻娶結地蔵)と言われ、男性向けの縁結び・家庭円満・家運隆盛にご利益があると言われています。 -

光縁寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
光縁寺には新撰組隊士局中法度違反とされ切腹、粛清された隊士などの墓があります。光縁寺の住職・良誉上人(りょうよしょうにん)と新撰組副隊長・山南敬介との親交から屯所で切腹した隊士達が弔われ、埋葬されることになったそうです。 -

来迎院(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
来迎院は経典などに独特の節をつけ、僧侶によって唱和される天台声明(てんだいしょうみょう)の道場だった。天台声明(魚山声明)は唐・魚山で14年間の仏教修学後、日本に戻った慈覚大師・円仁によって伝えられました。 -

補陀洛寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
補陀洛寺は平安時代前期の六歌仙・三十六歌仙である小野小町の終焉の地と言われています。境内には小町老衰像・小野小町塔・亡骸から生えたという「穴目のススキ」・小野楓・小野小町姿見の井戸などがあります。 -

元慶寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
元慶寺は藤原兼家・道兼親子の策略による寛和の変より、兼家の外孫・懐仁親王が一条天皇になり、花山天皇が出家させられた寺です。なお元慶寺は花山法皇の宸影を安置している為、花山寺とも言われています。

















