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カテゴリー:その他
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一心院(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
一心院の山号は「群仙山」は1838年(天保9年)知恩院の門主・尊超入道親王(そんちょうにゅうどうしんのう)が白鶴の群れが一心院の裏山に飛来する夢を見て、山号を「群仙山」と名付け、自ら筆をとって「群仙山」の扁額を贈ったそうです。 -

青龍宮(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
青龍宮の祭神・清滝大権現(青龍権現)は唐・青龍寺の鎮守で、密教の守護神だったが、弘法大師・空海の守護の為に唐から紺碧の海をはるばる渡って高雄山寺(神護寺)に飛来したと言われています。なお清滝のサンズイは海渡に由来しています -

道知院(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
道知院の本坊・本覚寺(ほんかくじ)は1222年(貞応元年)鎌倉幕府3代将軍・源実朝の正室・坊門信子が実朝の菩提寺として、遍照心院(大通寺)内に創建しました。本覚寺の名称は信子の法名「本覚」に由来しています。 -

毘沙門天堂(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
毘沙門天堂の本尊・毘沙門天像はかつて鞍馬寺の毘沙門天の胎内仏でした。黒田官兵衛の長男・黒田長政は関ヶ原の戦いの出陣の際、毘沙門天像を内兜に納め、奮戦したそうです。なお毘沙門天像は「祇園の縁結び」でも知られています。 -

普広院(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
普広院ゆかりの室町幕府6代将軍・足利義教は3代将軍・義満の子で、1408年(応永15年)には得度したが、1428年(正長元年)に4代将軍・足利義持が急死し、還俗してくじによって将軍になったが、赤松満祐によって斬殺されました。 -

大寧軒(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
大寧軒の庭園は茶道藪内家11代・透月斎竹窓紹智が作庭しました。なお藪内流の初代・藪内剣仲は武野紹鴎の最晩年の弟子で、千利休・古田織部とも親交が深く、利休からは茶室「雲脚」、織部からは茶室「燕庵」を賜りました。 -

大光院(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
大光院ゆかりの豊臣秀長は豊臣秀吉の実弟で、1564年(永禄7年)から秀吉に仕え、1575年(天正3年)には羽柴の名字を与えられ、その後豊臣の本姓を与えられるが、1591年(天正19年)大和郡山城内で亡くなりました。 -

大珠院(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
大珠院ゆかりの石川貞清(雲岳宗林)は豊臣秀吉に仕え、関ヶ原の戦いでは西軍・石田三成方に付きました。関ヶ原の戦い後は所領は没収されたが、池田輝政によって助命され、剃髪した後は茶人・商人として過ごしたそうです。 -

大通院(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
大通院は相国寺修行道場「専門道場」を兼ね、坐禅堂では修行僧(雲水)が日夜坐禅や托鉢に励んでいるそうです。なお相国寺は1382年(永徳2年)室町幕府3代将軍・足利義満が一大禅宗伽藍を建立することを発願したのが起源です。 -

多福院(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
多福院の開祖・鉄船宗熙(てっせんそうき)は義天玄詔(ぎてんげんしょう)に参じ、雪江宗深(せっこうそうしん)に印可されたが、諸国行脚していたところ特芳禅傑(とくほうぜんけつ)に惜しまれたと言われています。 -

仙寿院(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
仙寿院を創建した妙心寺196世・禿翁妙宏は洛北幡枝に庵・菩提院を結んで閑居していたが、後水尾天皇に土地を献上した為に仙寿院がある現在の場所を与えられました。なお後水尾天皇は洛北幡枝に幡枝離宮を造営しました。 -

慈氏院(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
慈氏院の達磨堂には達磨大師像が安置され、「達磨堂」・「だるま寺」・「おあしがよる大師」とも言われています。なお達磨大師像は足が見える立像の為、足とおあし(金銭)に掛けて、「おあしがよる大師」と言われています。













