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カテゴリー:その他
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海蔵院(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
海蔵院縁の虎関師錬(こかんしれん)は1285年(弘安8年)8歳で臨済宗・東山湛照(とうざんたんしょう)を師事し、1322年(元亨2年)日本初の仏教通史である「元亨釈書(げんこうしゃくしょ)」を白河済北庵で記しました。 -

西福寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
西福寺は綜芸種智院があった場所で、門前には「綜芸種智院跡」の碑があります。なお綜芸種智院は828年(天長5年)弘法大師・空海が庶民の教育施設として、藤原三守の九条邸で開校し、儒書・仏書を講義しました。 -

歓喜光寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
歓喜光寺の地蔵堂に安置されている「南無地蔵」はかつて京の三大墓地のひとつである鳥辺野(とりべの)に安置され、人々が地蔵尊の前を通る際、「南無阿弥陀仏」と唱えて回向した為、「南無地蔵」と言われています。 -

阿弥陀寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
阿弥陀寺を創建した弾誓上人(たんぜいしょうにん)は1613年(慶長18年)松の実と皮のみを食し、石棺の真下の石龕(せきがん)に入って即身仏になったと言われています。なお本堂の奥の開山窟には遺骸を収めた石棺がります。 -

十禅寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
十禅寺は人康親王の御所・山階宮があった場所です。人康親王は仁明天皇の第4皇子で、上総の弾正尹兼常陸太守になったが、両目を失明して出家しました。なお人康親王は「伊勢物語」78段に「山科の禅師親王」として記されています。 -

称讃寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
称讃寺(旧観音寺)の観音像は清水寺の開祖・延鎮上人が清水に光り輝く観音像を倒れてきた柳に一刀三礼で刻んだそうです。観音像は清水寺の観音像と同木だった言われています。なお現在の観音像は室町時代作と言われています。 -

妙順寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
妙順寺の境内には第81代・安徳天皇の産湯の井と言われている「釣殿井」があります。なお第81代・安徳天皇は平清盛の娘・建礼門院徳子(平徳子)と第80代・高倉天皇の第1皇子で、1歳4ヶ月で即位し、1185年(寿永4年)の壇ノ浦の戦いで、わずか8歳で崩御しました。 -

長仙院(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
長仙院は誓願寺(せいがんじ)の塔頭です。誓願寺は667年(天智天皇6年)天皇の勅願により、奈良に創建されたが、鎌倉時代初期に京都の一条小川に移り、豊臣秀吉の命によって現在の場所中京区桜之町に移りました。 -

本経寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
本経寺は「本能寺の変」で織田信長を討た明智光秀の終焉の地と言われています。なお明智光秀は豊臣秀吉との山崎の戦で破れ、坂本を目指して落ち延びる途中、本経寺近くの竹薮で落ち武者狩りに遭い、竹槍で刺されたと言われています。 -

住吉大伴神社(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
住吉大伴神社ゆかりの大伴氏(伴氏)は飛鳥時代からの武門の家で、物部氏とともに王城を警護したり、乱を平定したりしていました。しかし866年(貞観6年)伴善男 (とものよしお)は応天門の変で失脚すると伊豆に配流されました。 -

転法輪寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
転法輪寺の本尊・阿弥陀如来坐像は第115代・桜町天皇御追福の為に寄進されました。阿弥陀如来坐像は二丈四尺(約7.5メートル)もあり、1929年(昭和4年)に北野から現在の御室に移る際には市電の高架電線を切って移動させたそうです。 -

染殿院(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
染殿院の地蔵尊・染殿地蔵は第55代・文徳天皇の皇后で、摂政・藤原良房の娘・染殿后(そめどののきさい)が祈願し、17日目の満願の日に懐妊の兆候が現れ、惟仁親王(第56代・清和天皇)を生んだことから染殿地蔵と言われるようになりました。














