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カテゴリー:その他
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聴松院(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
聴松院ゆかりの清拙正澄(せいせつしょうちょう)は1326年(嘉暦元年)に中国から来朝し、鎌倉幕府執権・北条高時の招きで鎌倉・建長寺に住して禅規を刷新しました。なお摩利支尊天は清拙正澄が中国から招来したと言われています。 -

龍光院(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
龍光院ゆかりの滝川雄利の娘・龍光院の召使い・宗厳(そうごん)は娘が亡くなった後に出家し、塔頭・西雲院(さいうんいん)を創建して念仏三昧の生活を送ったそうです。なお宗厳は千日の別時念仏を修し、1万日の別時念仏を発願しました。 -

了蓮寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
了蓮寺の水落(みずおち)地蔵は洛陽四十八願所地蔵めぐりの第22番札所です。なお水落地蔵はかつて本坊・百萬遍知恩寺の地蔵堂に安置され、1711年(正徳元年)の「山州名跡志」には信仰を集めていると記されています。 -

豊光寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
豊光寺を創建した相国寺92世・西笑承兌(せいしょうじょうたい)は豊臣秀吉・徳川家康から信認され、外交文書起草・寺社行政などに関わり、文禄の役後の講和交渉の際には秀吉の前で明使からの冊封状を読み上げました。 -

牧護庵(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
牧護庵の境内には「寛平法皇御旧跡法皇寺」の石標があります。なお法皇寺(乙訓寺)は推古天皇の勅命により、聖徳太子が建立したとも言われ、宇多法皇が落飾した後の行宮とした為、法皇寺とも言われるようになりました。 -

養源院(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
養源院は鳥羽・伏見の戦いでは薩摩藩の負傷者を収容する野戦病院(薩摩病院)だったそうです。野戦病院ではイギリス人外科医・ウィリアム・ウィリスが治療にあたったそうです。なおウィリスは後に日本人・八重と結婚したそうです。 -

一心院(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
一心院の山号は「群仙山」は1838年(天保9年)知恩院の門主・尊超入道親王(そんちょうにゅうどうしんのう)が白鶴の群れが一心院の裏山に飛来する夢を見て、山号を「群仙山」と名付け、自ら筆をとって「群仙山」の扁額を贈ったそうです。 -

青龍宮(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
青龍宮の祭神・清滝大権現(青龍権現)は唐・青龍寺の鎮守で、密教の守護神だったが、弘法大師・空海の守護の為に唐から紺碧の海をはるばる渡って高雄山寺(神護寺)に飛来したと言われています。なお清滝のサンズイは海渡に由来しています -

道知院(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
道知院の本坊・本覚寺(ほんかくじ)は1222年(貞応元年)鎌倉幕府3代将軍・源実朝の正室・坊門信子が実朝の菩提寺として、遍照心院(大通寺)内に創建しました。本覚寺の名称は信子の法名「本覚」に由来しています。 -

毘沙門天堂(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
毘沙門天堂の本尊・毘沙門天像はかつて鞍馬寺の毘沙門天の胎内仏でした。黒田官兵衛の長男・黒田長政は関ヶ原の戦いの出陣の際、毘沙門天像を内兜に納め、奮戦したそうです。なお毘沙門天像は「祇園の縁結び」でも知られています。 -

普広院(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
普広院ゆかりの室町幕府6代将軍・足利義教は3代将軍・義満の子で、1408年(応永15年)には得度したが、1428年(正長元年)に4代将軍・足利義持が急死し、還俗してくじによって将軍になったが、赤松満祐によって斬殺されました。 -

大寧軒(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
大寧軒の庭園は茶道藪内家11代・透月斎竹窓紹智が作庭しました。なお藪内流の初代・藪内剣仲は武野紹鴎の最晩年の弟子で、千利休・古田織部とも親交が深く、利休からは茶室「雲脚」、織部からは茶室「燕庵」を賜りました。















