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カテゴリー:その他
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乗願院(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
乗願院の本堂は世界遺産である上賀茂神社(賀茂別雷神社)の境内にあった神宮寺観音堂を1869年(明治2年)に移したものです。なお本堂は双葉葵紋の蛙股などが施され、寛永年間の建築様式の特徴があります。 -

光源院(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
光源院の名称の由来になった室町幕府13代将軍・足利義輝は南禅寺で生まれ、1546年(天文15年)11歳で将軍に就き、1565年(永禄8年)松永久秀と三好三人衆が二条御所を襲撃した永禄の変により、29歳で亡くなりました。 -

玉龍院(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
玉龍院の法堂は1788年(天明8年)の天明の大火によって焼失する危険性があったが、法堂と開山堂に通じる廊下を破壊することによって焼失を免れたそうです。なお玉龍院は世界遺産である金閣寺・銀閣寺と同じく相国寺の塔頭です。 -

悟真寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
悟真寺には江戸時代の絵師・円山応挙と一族の墓があることから「応挙寺」とも言われています。なお円山応挙は10代の頃に狩野派・石田幽汀に絵を学び、1775年(安永4年)43歳の時に「平安人物志」では画家部第1位に記されています。 -

西源院(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
西源院は通常非公開だが、日本庭園を眺めながら精進料理を食べることができます。なお精進料理の「精進」は美食を戒めて粗食をし、精神修養をすることだが、一般的に肉類を使わない料理として用いられています。 -

西翁院(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
西翁院の茶室・淀看席(よどみのせき・澱看席)は茶室南面の窓から淀川が見えたことに由来しています。ただかつては本坊・金戒光明寺の山号に因んで紫雲庵(しうんあん)とも、反古庵(ほろぐあん・ほうぐあん)とも言われていたそうです。 -

海蔵院(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
海蔵院縁の虎関師錬(こかんしれん)は1285年(弘安8年)8歳で臨済宗・東山湛照(とうざんたんしょう)を師事し、1322年(元亨2年)日本初の仏教通史である「元亨釈書(げんこうしゃくしょ)」を白河済北庵で記しました。 -

西福寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
西福寺は綜芸種智院があった場所で、門前には「綜芸種智院跡」の碑があります。なお綜芸種智院は828年(天長5年)弘法大師・空海が庶民の教育施設として、藤原三守の九条邸で開校し、儒書・仏書を講義しました。 -

歓喜光寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
歓喜光寺の地蔵堂に安置されている「南無地蔵」はかつて京の三大墓地のひとつである鳥辺野(とりべの)に安置され、人々が地蔵尊の前を通る際、「南無阿弥陀仏」と唱えて回向した為、「南無地蔵」と言われています。 -

阿弥陀寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
阿弥陀寺を創建した弾誓上人(たんぜいしょうにん)は1613年(慶長18年)松の実と皮のみを食し、石棺の真下の石龕(せきがん)に入って即身仏になったと言われています。なお本堂の奥の開山窟には遺骸を収めた石棺がります。 -

十禅寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
十禅寺は人康親王の御所・山階宮があった場所です。人康親王は仁明天皇の第4皇子で、上総の弾正尹兼常陸太守になったが、両目を失明して出家しました。なお人康親王は「伊勢物語」78段に「山科の禅師親王」として記されています。 -

称讃寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
称讃寺(旧観音寺)の観音像は清水寺の開祖・延鎮上人が清水に光り輝く観音像を倒れてきた柳に一刀三礼で刻んだそうです。観音像は清水寺の観音像と同木だった言われています。なお現在の観音像は室町時代作と言われています。













