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カテゴリー:その他
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三善院(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
三善院の初代住職・浄蔵貴所は909年(延喜9年)左大臣・藤原時平が亡くなった際、時平の耳から青色の二龍が現れるの見て、応変天帝の化身(菅原道真)と驚いたそうです。なお菅原道真の死後、悪疫が続き、道真の怨霊の仕業と恐れられました。 -

三鈷寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
三鈷寺は背後のカモシカ嶽の三峰が祈る人の三業がそのまま仏様の三密に通じると言われている宝具・三鈷(三鈷杵)に似ていることから名付けられました。なお三鈷寺から東山に昇る月の眺めは関西随一と言われています。 -

欣浄寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
欣浄寺はかつて深草少将の邸宅だった。深草少将は能「百夜通い」に登場し、絶世の美女・小野小町の元に九十九夜通ったが、思いが叶わずに亡くなりました。なお欣浄寺には「小野小町供養塔」と「深草少将供養塔」があります。 -

正林寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
正林寺(小松殿)は法然上人縁の寺で、法然上人二十五霊跡の第14番です。正林寺(小松殿)では法然上人は法談を行うだけでなく、居住していたとも言われ、讃岐に配流される際も正林寺(小松殿)から出発したと言われています。 -

倉掛神社(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
倉掛神社の境内には大木があり、環境保全地区に指定されています。なお倉掛神社一帯は近年まで大きな森と竹藪が茂り、昼までも暗かったこともあり、近隣では倉掛神社は「暗がりの宮はん」と言われていたそうです。 -

観世寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
観世寺を建立した慶政上人(けいせいしょうにん)は摂政・藤原良経の子供だったが、生後間もなく障害を受け、幼くして園城寺で出家して、仏門に入ったと言われています。なお慶政上人の弟・藤原道家は関白になっています。 -

北向見返天満宮(アクセス・マップ・歴史・・・)
北向見返天満宮は大宰府へ左遷される菅原道真が草津の湊から南へ下る際、都のある北の方を見返したことから「北向見返八幡宮」と言われるようになりました。なお菅原道真の死後、悪疫が続き、道真の怨霊の仕業と恐れられました。 -

更雀寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
更雀寺の観智法印は奥州に左遷されて亡くなり、雀の化身になって京都に戻り、夢の中に現われた藤原実方から望郷の苦しみからの救済を求められました。その雀を塚に埋めて弔ったとことから更雀寺と言われるようになりました。 -

円覚寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
円覚寺(水尾山寺)に入寺した清和天皇は清和源氏の祖です。なお清和天皇は人臣として最初の摂政となった外祖父・藤原良房の後見により、兄3親王を差し置き、生後8か月で立皇太子になり、9歳で天皇に即位しました。 -

大歳神社(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
大歳神社で祀られている石作神(いしつくりのかみ)は代々石棺などを造る豪族・石作氏の祖神です。なお石作氏は垂仁天皇の后・日葉酢媛命が亡くなった際、石棺を献上したことから石作大連公の姓を賜りました。 -

嘉祥寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
嘉祥寺の本尊・聖天像(大聖歓喜天)は象の顔と人の体を持ち、きんちゃくと大根がシンボルの福運の聖天として、室町時代から信仰を集めています。なお嘉祥寺の聖天像は日本最初(最古)の聖天像と言われています。 -

新長谷寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
新長谷寺を創建した藤原山陰には亀と子供の故事が残されています。山陰の父・藤原高房が漁師が捕まえ亀を助け、亀が親子二代に渡って子供を助けた為、亀は観音様のご加護に違いないと感謝し、新長谷寺を建立しました。














