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カテゴリー:その他
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大応寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
大応寺は嵯峨天皇の后で、檀林寺を創建したことから檀林皇后とも言われた橘嘉智子が建てた悲田院跡と言われています。なお悲田院は聖徳太子が孤児や身寄りのない老人を収容する施設を造ったのが起源です。 -

大歓喜寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
大歓喜寺には中御門天皇の第7皇女・天巌永皎尼(永皎女王)が葬られています。天巌永皎尼は1742年(寛保2年)に剃髪し、1769年(明和6年)に紫衣を許され、上京区の尼門跡寺院・大聖寺(だいしょうじ)を中興しました。 -

大興寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
大興寺の本尊・薬師如来坐像(薬師瑠璃光如来)は仏師・運慶作と言われ、江戸時代には名薬師のひとつに数えられ、芝薬師と言われました。なお大興寺は応仁の乱の際、西軍総大将・山名宗全(やまなそうぜん)の本陣が置かれました。 -

高雲寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
高雲寺ゆかりの惟喬親王(これたかしんのう)は第55代・文徳天皇の第1皇子だったが、摂政・藤原良房(ふじわらのよしふさ)の娘・明子が第4皇子・惟仁親王(これひとしんのう・清和天皇)を生むと皇太子争いに敗れ、大宰帥などを歴任した後に出家し、洛北に隠棲しました。 -

清凉院(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
清凉院ゆかりの徳川家康の側室・お亀の方は清凉院の場所にあった御殿で徳川家康の九男で、尾張徳川家の始祖・徳川義直(とくがわよしなお)を生んだと言われています。なお徳川義直は東照宮を勧請して尾張(名古屋)東照宮を建立しました。 -

善行院(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
善行院(西陣の妙見さん)は洛陽十二支妙見めぐりの第1番札所です。洛陽十二支妙見めぐりは京都御所・紫宸殿を中心に十二支の方角に祀った妙見宮を巡って福寿開運を祈願します。なお善行院は子(ね)の方角に当たります。 -

善正寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
善正寺を建立した日秀尼(にっしゅうに)は豊臣秀吉の実の姉で、関白・豊臣秀次の実の母でした。1595年(文禄4年)秀次が切腹し、夫・三好吉房が讃岐に流された後は聚楽第を出て、本圀寺16世・日禎(にちじょう)によって得度しました。 -

善導寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
善導寺の境内にある三尊石仏(釈迦如来立像・弥勒菩薩立像・文殊菩薩立像)は嵯峨・清凉寺(嵯峨釈迦堂)の本尊を写したものと言われています。なお清凉寺(せいりょうじ)の木造釈迦如来立像(三国伝来の生身のお釈迦様)は国宝です。 -

蔵泉寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
蔵泉寺は1582年(天正10年)山崎の戦いで豊臣秀吉に敗れた明智光秀が滋賀坂本に逃げる際に一時隠れていたとも言われています。なお明智光秀は伏見小栗栖の本経寺(ほんきょうじ)近くの竹薮で竹槍で刺されたと言われています。 -

浄蓮華院(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
浄蓮華院の南東には縄文時代晩期の遺跡とされている谷口古墳があります。谷口古墳は桓武天皇陵とも伝えられていました。なお現在桓武天皇陵は伏見区桃山町永井久太郎にある柏原陵(かしわばらのみささぎ)に治定されています。 -

瑞芳寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
瑞芳寺は1615年(元和元年)徳川家康から土地を与えられた江戸初期の書家・陶芸家・芸術家である本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)の屋敷に隣接していました。なお鷹峯には光悦ゆかりの光悦寺(こうえつじ)もあります。 -

正定院(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
正定院は下嵯峨の材木商・福田家が創建したこともあり、幕末の勤皇派材木商・福田理兵衛(ふくだりへい)の墓があります。福田理兵衛は長州藩の御用達になり、1864年(元治元年)の禁門の変(蛤御門の変)では長州軍に加わりました。













