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カテゴリー:その他
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良恩寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
良恩寺は背後の花頂山にあった火葬場を管理し、地蔵尊の前で引導を渡していたことから地蔵尊は導引(みちびき)地蔵と言われるようになりました。なお火葬場は1596年(慶長元年)武将・酒井忠次の妻を火葬したことから始まったそうです。 -

本寿寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
本寿寺の開基・日親上人(にっしんしょうにん)は室町幕府第6代将軍・足利義教の怒りを買って度々投獄され、熱湯の入った鍋を頭に被せられたり、舌を切られたりする拷問を受けた言われ、「鍋かむり日親」とも言われました。 -

宝樹寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
宝樹寺を浄因が再興した際には光明寺に安置されていた観音像から夢告があり、宝樹寺に移されました。また観音像は安堵せりと告げたことから宝樹寺がある場所は安堵町と言われたり、近くの橋は安堵橋と言われたりしました。 -

妙応寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
妙応寺ゆかりの天智天皇は舒明天皇の皇子で、乙巳の変によって蘇我入鹿などの蘇我氏を倒し、645年(大化元年)に大化の改新を行い、670年(天智天皇9年)には日本初の全国的な戸籍・庚午年籍(こうごねんじゃく)を作りました。 -

隣好院(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
隣好院の本坊・高台寺(こうだいじ)は豊臣秀吉の正室・北政所が秀吉の冥福を祈る為に建立しました。高台寺は当初曹洞宗だったが、1624年(寛永元年)臨済宗の建仁寺から三江紹益(さんこうじょうえき)を招聘して臨済宗に改めました。 -

妙堯寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
妙堯寺ゆかりの日蓮聖人(にちれんしょうにん)は1233年(天福元年)12歳で安房・清澄山の道善房の弟子になり、1242年(仁治3年)に比叡山に上って12年間修行し、1253年(建長5年)には「南無妙法蓮華経」と題目を唱えて立教開宗しました。 -

万福寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
万福寺ゆかりの慈覚大師(じかくだいし)・円仁(えんにん)は伝教大師(でんぎょうだいし)・最澄に師事し、最期の14年間を仕え、第3代天台座主になりました。なお円仁は入唐八家(円仁・最澄・空海・常暁・円行・恵運・円珍・宗叡)の一人です。 -

当麻寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
当麻寺を創建したと言われている僧・証空(しょうくう)は1190年(建久元年)に14歳で出家し、浄土宗の開祖・法然上人(ほうねんしょうにん)の弟子になり、1212年(建暦2年)法然上人が臨終するまでの23年間師事しました。 -

無学寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
無学寺を創建した臨済宗の渡来僧・無学祖元(むがくそげん)は南宋(中国)明州で生まれ、1237年(嘉禎3年)に出家し、1279年(弘安2年)鎌倉幕府執権・北条時宗の招きによって来朝しました。なお無学祖元は臨済宗無学派(仏光派)の祖です。 -

宝慈院(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
宝慈院ゆかりの無外如大は安達泰盛の娘で、北条顕時の妻だったが、霜月騒動で安達一族が滅亡し、夫が配流になった為に得度しました。なお無外如大は京都尼五山の筆頭・景愛寺(けいあいじ)の開山とされ、臨済宗最初の正規尼僧と言われています。 -

安禅寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
安禅寺のある洛西はかつて西国三十三箇所巡礼が盛んで、巡礼に旅立つ際には安禅寺に参詣して道中の安全を祈願していたそうです。なお西国三十三箇所巡礼は1978年(昭和53年)に再興されたが、安禅寺は番外札所です。 -

福田寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
福田寺を創建した宗尊親王(むねたかしんのう)は第88代・後嵯峨天皇の第1皇子で、11歳で征夷大将軍の宣下を受けて皇族初の将軍(鎌倉幕府6代将軍)になるが、正室・近衛宰子(このえさいし)と僧・良基の密通事件や謀叛嫌疑によって将軍職を解任されて京都に送還されました。











