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カテゴリー:その他
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宮道神社(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
宮道神社ゆかりの宮道(みやじ)氏は饒速日命(にぎはやひのみこと)を祖とする物部守屋の後裔とも言われ、山城宇治郡を本拠とする古代豪族でした。宮道弥益(みやじのいやます)の孫・藤原胤子は宇多天皇の女御になり、醍醐天皇を生みました。 -

中道寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
中道寺には明治維新後の廃仏毀釈によって八幡宮社から移され、いずれも京都市指定文化財である財阿弥陀如来坐像・薬師如来坐像・十一面観音坐像が安置されています。なお廃仏毀釈は1868年(明治元年)4月5日の太政官布告から始まりました。 -

三明院(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
三明院を現在の場所・上高野西明寺山に移したのは和歌山紀三井寺住職・佐竹信光です。なお三明院の本堂には本尊・弘法大師像、脇仏・不動明王と歓喜天尊が安置され、多宝塔に十一面観世音が安置されてます。 -

中山神社(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
中山神社の名称の由来になった公卿・中山忠親(なかやまただちか)は中山家の祖で、参議・大納言・内大臣を歴任し、平徳子(建礼門院)・言仁皇子(安徳天皇)に仕えました。なお中山忠親は歴史物語「水鏡」の著者とも言われています。 -

九頭竜大社(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
九頭竜大社のおみくじは一般的な大吉・中吉・小吉などの形式ではなく、九頭竜弁財天大神の言葉が記される独特の形式になっています。なお九頭竜大社の参拝方法もおみくじ同様に独特で、創建当初から行われているそうです。 -

吉水弁財天堂(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
吉水弁財天堂の弁財天に盲目の琵琶法師・源照が芸技上達を祈願し、その後後小松天皇の御寵を受けて盲人初の紫衣を贈られたことから紫衣弁財天と言われるようになりました。なお紫衣は高貴な色とされ、高官が身に付けます。 -

桜宮神社(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
桜宮神社は1358年(正平13年)嗣子がなかった室町幕府第2代将軍・足利義詮(あしかがよしあきら)が祈願すると妻・紀良子が3代将軍・足利義満を授かったと言われています。また足利義満も天下統一を祈願したと言われています。 -

阿刀神社(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
阿刀神社ゆかりの古代氏族・阿刀(あと)氏は石上氏(物部氏)の支族で、饒速日命の孫・味饒田命の後裔とされ、国家の祭祀を預かったと言われています。なお真言宗の宗祖である弘法大師・空海の母方の叔父が阿刀氏の阿刀大足(あとのおおたり)です。 -

萱尾神社(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
萱尾神社の社殿を造営したと言われている藤原鎌足(中臣鎌足)は中大兄皇子(天智天皇)とともに645年(大化元年)乙巳の変で蘇我入鹿を討って蘇我氏を滅亡させました。藤原鎌足は藤原朝臣の姓を贈られて藤原氏の祖になりました。 -

鳥居本八幡宮(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
鳥居本八幡宮ではかつて8月16日に紀良子(きのりょうし・きのよしこ)の生家・石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)に送り火をし、これがが五山送り火・鳥居形(鳥居形松明)の起源とも言われています。(諸説あり) -

長尾天満宮(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
長尾天満宮の祭神・菅原道真(すがわらみちざね)は右大臣になるが、左大臣・藤原時平の讒言(告げ口)によって太宰府に左遷され、大宰府で亡くなりました。なお菅原道真の死後、悪疫が続き、道真の怨霊の仕業と恐れられました。 -

遣迎院(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
遣迎院がある場所は1583年(天正13年)豊臣秀吉が大仏殿の敷地と定めた為、移転を余儀なくされました。その為南遣迎院(慈眼院)と遣迎院に別れ、遣迎院は御所の東にある北之辺町に移り、現在は北区鷹峯光悦町にあります。














