郭巨山

郭巨山

郭巨山(祇園祭山鉾前祭)情報を紹介しています。郭巨山はくじ取り式で巡行順を決め、7月17日の祇園祭山鉾巡行(前祭)で巡行します。なお郭巨山は他の舁山が1963年(昭和38年)から車輪を付け始めたが、最後まで舁山にこだわり、車輪を付けたのは1966年(昭和41年)からだったそうです。

【山鉾巡行(前祭)日程時間(要確認)】
山鉾巡行(前祭)2019は2019年(令和元年)7月17日(水曜日)9:00に四条烏丸を出発します。
山鉾巡行(前祭)2019・祇園祭
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【郭巨山 アクセス・マップ地図】
場所・・・京都府京都市下京区四条通西洞院東入る郭巨山町
最寄り駅・バス停・・・四条駅(徒歩約10分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅からは地下鉄烏丸線
地下鉄・アクセスダイヤ

【郭巨山 ちまきなどの授与品】
ちまき(粽)・手拭・母乳のお守り・あぶらとり紙など
祇園祭ちまき販売(前祭)(日程・時間・・・)祇園祭ちまき販売(後祭)(日程・時間・・・)祇園祭ちまき

【郭巨山 搭乗】

【郭巨山 ご利益】
金運・母乳の出を守る

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【郭巨山 歴史・簡単概要】
郭巨山(かっきょやま)は中国の史話・二十四孝の一人である郭巨が貧しさから母と子を養うことができず、子を山に埋めようとした際に土の中から黄金の釜を掘り当てた故事に由来しています。郭巨は妻・老いた母・三歳の子と貧しいながら暮らしていました。母は三歳の孫を可愛がり、自分の少ない食事を分け与えていました。そこで郭巨は妻に子はまた授かることができるが、母は二度と授かることはできない。子を埋めて、母を養おうと言いました。妻は郭巨に逆らえず、郭巨が子を埋める為、涙を流しながら土を掘っていると黄金の釜が出てきました。郭巨は子と一緒に家に帰り、母に孝行を尽くしました。釜にには「孝行な郭巨に天からこれを与える。他人は盗ってはいけない」と書かれていたそうです。なお二十四孝(にじゅうしこう)は後世の模範となるように孝行に優れた24人を取り上げた書物です。
郭巨山は応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))後の1500年(明応9年)に記された鬮定め書に記録が残っています。その後1966年(昭和41年)からは車輪を付けるようになりました。なお郭巨山は釜掘り山(かまほりやま)とも言われます。
*参考・・・郭巨山(祇園祭山鉾前祭)ホームページ郭巨山(祇園祭山鉾前祭)
祇園祭山鉾一覧

【郭巨山 特徴・懸装品】
●郭巨山は他の山と異なり、油紙を被せた日覆障子(ひおおいしょうじ)の屋根覆いを掛けています。また桐桜菊の欄縁の下に金地彩色宝相華文様の乳隠しが用いられています。
●御神体(郭巨と童子)は一度焼損し、1789年(寛政元年)に金勝亭九右衛門利恭が作りました。御神体はヒノキで作られ、郭巨が高さ約160センチ・童子が高さ約105センチです。なお郭巨は驚いた表情で鍬、童子は右手に唐団扇、左手に紅白の牡丹を持っています。
●前懸は1785年(天明5年)に作られた唐美人遊楽図の絽刺、胴懸は石田幽汀の下絵で、1785年(天明5年)に松屋源兵衛が作った呉道子描龍図と陳平飼虎図の刺繍、見送は円山応震の下絵で、1815(文化12年)に作られた山水仙人図だったが、1983年(昭和58年)から前懸が上村松篁の下絵による秋草図の綴織、胴懸が上村松篁の下絵による花の汀図・春雪図の綴織、見送が上村松篁の下絵による都の春図の綴織に代えられました。なお後懸には阿国歌舞伎図の綴織と古後懸には1785年(天明5年)に改修された黒ビロード地福禄寿図刺繍があります。

【郭巨山 備考(要確認)】
郭巨山の山建て・・・7/13 8:00~
日程・時間は変更になっている場合があります。必ず確認して下さい。
祇園祭宵山2019祇園祭山鉾巡行2019

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