京都刀剣ゆかりの地|粟田神社・藤森神社・建勲神社など

粟田神社

京都刀剣ゆかりの地

京都刀剣ゆかりの地には粟田神社(一期一振・秋田藤四郎・三日月宗近)・花山稲荷神社(小狐丸)・北野天満宮(髭切)・建勲神社(宗三左文字)・大覚寺(膝丸)・豊国神社(骨喰藤四郎)・藤森神社(鶴丸国永)・本能寺(不動行光・薬研藤四郎)・二条城(陸奥守吉行)・壬生寺(長曽祢虎徹・堀川国広・和泉守兼定)などがあり、京都刀剣御朱印めぐりの場所になっています。

【粟田神社(あわたじんじゃ) 東山区粟田口鍛冶町1】
粟田神社は古代の豪族・粟田氏が氏神として祀ったのが起源とも言われています。また粟田神社は876年(貞観18年)に清和天皇が兵火や疫病に対する勅を発し、全国の諸神にお供えをし、国家と民の安全を祈願させた際、大己貴命からの神告により、八坂神社の祭神・素戔鳴尊(牛頭天王)にゆかりがある現在の場所に創建されたとも言われています。
●一期一振(いちごひとふり)は鎌倉時代(1185年~1333年)中期に粟田口吉光(藤四郎)が造刀しました。一期一振の名称は粟田口吉光が短刀を多く造刀し、太刀は一期一振しか造刀しなかったことに由来しています。
●秋田藤四郎(あきたとうしろう)は粟田口吉光(藤四郎)が造刀しました。秋田藤四郎の名称はかつて関白・豊臣秀吉に仕えた秋田城介(秋田実季)が所有していたことに由来しています。
●三日月宗近(みかづきむねちか)は平安時代(794年~1185年)に三条宗近が造刀し、天下五剣に数えられています。三日月宗近の名称は刀身に三日月形の打除けが多くみられることに由来しているそうです。
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【花山稲荷神社(かざんいなりじんじゃ) 山科区西野山欠の上町65】
花山稲荷神社は903年(延喜3年)に醍醐天皇の勅命によって創建され、西山稲荷と言われたのが起源と言われています。その後花山天皇が篤く崇敬したことから花山稲荷神社と言われるようになったとも言われています。
●小狐丸(こぎつねまる)は平安時代(794年~1185年)に三条宗近が造刀しました。三条宗近は花山稲荷神社に参籠して完成させたとも言われています。小狐丸は三条宗近の氏神・稲荷明神が童子に化けてともに造刀したとも言われています。
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【北野天満宮(きたのてんまんぐう) 上京区馬喰町】
北野天満宮は947年(天暦元年)に西ノ京に住んでいた多治比文子、近江比良宮の神主である神良種、北野朝日寺の僧である最珍らが神殿を造営し、祭神・菅原道真を祀ったのが起源です。その後菅原道真の左遷の原因になった左大臣・藤原時平の甥・藤原師輔が私邸を寄贈し、大規模な社殿が造営建立されました。
●髭切(ひげきり)は平安時代(794年~1185年)に源満仲が造刀させました。髭切は罪人の首をはねた際、髭まで断ち切った切れ味に由来しています。また髭切は一条戻り橋で源頼光の四天王のひとり渡辺綱が鬼を切ったことから鬼切丸とも言われています。
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【建勲神社(けんくんじんじゃ) 北区紫野北舟岡町49】
建勲神社は1869年(明治2年)に明治天皇が戦国乱世(戦国時代)において天下統一や朝儀復興などの事業を進めた織田信長の偉勲を讃える為に健織田社の創建を決定したのが起源です。翌1870年(明治3年)に明治天皇から神号・建勲神社を賜り、1875年(明治8年)に別格官幣社に列せられ、標高約111.7メートルの船岡山を賜りました。
●宗三左文字(そうざさもんじ)は南北朝時代(1337年~1392年)に造刀されました。宗三左文字の名称はかつて三好宗三(三好政長)が所有していたことに由来します。なお宗三左文字は三好左文字・義元左文字などとも言われます。
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【大覚寺(だいかくじ) 右京区嵯峨大沢町4】
大覚寺は平安時代初期に嵯峨天皇が造営した離宮・嵯峨院があった場所です。大覚寺は876年(貞観18年)に嵯峨天皇の皇女で、淳和天皇の皇后・正子内親王が淳和天皇の第2皇子・恒寂入道親王を開山として離宮を寺院に改め、清和天皇から寺号・大覚寺を賜ったのが起源です。
●膝丸(ひざまる・薄緑)は平安時代(794年~1185年)に源満仲が造刀させました。膝丸は罪人で試し切りをした際、一度に両膝を切り離したことに由来しています。
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【豊国神社(とよくにじんじゃ) 東山区大和大路正面茶屋町530】
豊国神社は1598年(慶長3年)に亡くなって伏見城内に安置されていた関白・豊臣秀吉の遺体が遺命により、東山阿弥陀ヶ峰に葬られ、その麓に廟所が建立されたのが起源です。その後豊臣家が滅亡すると徳川家康が後水尾天皇の勅許を得て、神号・豊国大明神を剥奪し、豊国神社を取り壊して、豊臣秀吉の霊を方広寺大仏殿裏手南東に建てた五輪石塔に遷しました。
●骨喰藤四郎(ほねばみとうしろう)は鎌倉時代(1185年~1333年)中期に粟田口吉光(藤四郎)が造刀しました。骨喰藤四郎の名称は斬るまねをするだけで、骨まで砕かれるほどの切れ味に由来するそうです。なお骨喰藤四郎は元々長刀だったそうです。
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【藤森神社(ふじのもりじんじゃ) 伏見区深草鳥居崎町609】
藤森神社は社伝によると203年(神功皇后摂政3年)に仲哀天皇の皇后だった神功皇后が三韓征伐から凱旋した際、山城国深草の里の藤森に纛旗を立て、兵具を納めて塚を造ったのが起源とも言われています。794年(延暦13年)に桓武天皇から弓兵政所の称が授けられたと言われています。
●鶴丸国永(つるまるくになが)は平安時代(794年~1185年)に国永が造刀しました。鶴丸の名称はかつて鶴丸国永が収められていた太刀拵(たちごしらえ)に鶴の蒔絵が施されていたことに由来します。
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【本能寺(ほんのうじ) 中京区本能寺前町522】
本能寺は1415年(応永22年)に日隆聖人が妙本寺5世・月明上人と対立して妙本寺(妙顕寺)を去り、油小路高辻と五条坊門の間に本応寺を創建したのが起源です。1582年(天正10年)の明智光秀による本能寺の変で焼失し、1591年(天正19年)に関白・豊臣秀吉の命によって現在の場所に移りました。
●薬研藤四郎(やげんとうしろう)は鎌倉時代(1185年~1333年)中期に粟田口吉光(藤四郎)が造刀しました。薬研藤四郎の名称は室町幕府管領・畠山政長が自害する際、何度やっても腹に刺さらず、腹を立てて投げつけたところ薬研を貫いて突き刺さったことに由来しています。薬研は薬草などを細かくする道具です。
●不動行光(ふどうゆきみつ)は鎌倉時代(1185年~1333年)に藤三郎行光が造刀しました。不動行光の名称は櫃の中に不動明王と眷属である矜羯羅童子(こんがらどうじ)・制多迦童子(せいたかどうじ)が浮彫されていることに由来しています。
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【二条城(にじょうじょう) 中京区二条城町541】
二条城はかつて禁苑(宮中の庭)だった神泉苑の一部で、内裏も造営された場所でした。その後1601年(慶長6年)に江戸幕府初代将軍・徳川家康が京都御所の守護・将軍の宿泊所として築城を開始し、1603年(慶長8年)に本丸御殿(二の丸御殿)が完成しました。
●二条城・二の丸御殿では土佐ゆかりの坂本龍馬・後藤象二郎が関わった大政奉還が行われたことから土佐吉行とも言われた刀工・陸奥守吉行(むつのかみよしゆき)ゆかりの地とされているようです。
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【壬生寺(みぶでら) 中京区壬生梛ノ宮町31】
壬生寺は991年(正暦2年)に園城寺(三井寺)の僧・快賢僧都が母の為に創建しました。壬生寺は当初、地蔵院・宝幢三昧寺などと言われていました。
●壬生寺では結成された新選組の近藤勇(長曽祢虎徹)・土方歳三(和泉守兼定・堀川国広)・沖田総司(大和守安定・加州清光)などの隊士が所有した刀剣から長曽祢虎徹(ながそねこてつ)・和泉守兼定(いずみのかみかねさだ)・堀川国広(ほりかわくにひろ)・大和守安定(やまとのかみやすさだ)・加州清光(かしゅうきよみつ)ゆかりの地とされているようです。
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