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過去の記事一覧
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最後(第35代)の斎王・礼子内親王と葵祭
葵祭では810年(弘仁元年)に嵯峨天皇が薬子の変で勝利したことから斎王が設けられました。1212年(建暦2年)に最後の斎王となる第35代斎王・礼子内親王が病気で退下し、その後承久の乱などの混乱などにより、斎王が廃絶しました。 -

初代斎王・有智子内親王(うちこないしんのう)と葵祭
葵祭は807年(大同2年)に第51代・平城天皇によって勅祭とされました。810年(弘仁元年)に第52代・嵯峨天皇が兄・平城上皇と対立し、薬子の変で勝利したことから嵯峨天皇の皇女・有智子内親王が斎王(賀茂斎院)になりました。 -

「延喜式(えんぎしき)」の中祀(ちゅうし)と葵祭
葵祭は807年(大同2年)に勅祭とされました。その後819年(弘仁10年)に第52代・嵯峨天皇が中祀に準じて行うようにと勅を下しました。「日本紀略」に「勅、山城国愛宕郡賀茂御祖并に別雷二神之祭、宜く中祀に准ずべし。」と記されています。 -

京都経済センター(アクセス・マップ・概要・・・)
京都経済センターは祇園祭の山鉾である函谷鉾・鶏鉾近くに位置することもあり、2019年(令和元年)に祇園祭創始1,150年記念事業である祇園祭記念フェスタが行われ、先着2,000名に祇園祭の絵葉書が進呈されました。 -

松野元敬の「扶桑京華志」と五山送り火・左大文字
五山送り火は古くから行われていると言われているが、明確ではないことも多くあります。五山送り火は江戸時代以降に多くの文献などに記されるようになりました。左大文字は1665年(寛文5年)に松野元敬が刊行した「扶桑京華志」が初見と言われています。 -

秋里籬島の「都名所図会」と五山送り火・大文字
五山送り火は古くから行われていると言われているが、起源は明確ではありません。大文字の起源には弘法大師・空海説などがあります。1780年(安永9年)に俳諧師・秋里籬島が刊行した「都名所図会」には大文字の起源が記されています。 -

諸国年中行事(しょこくねんちゅうぎょうじ)」と五山送り火
五山送り火は古くから行われていると言われているが、起源は明確ではありません。また長い歴史の中で消え、現在は行われていないものもあります。江戸時代中期の「諸国年中行事」には市原のいの字・鳴瀧の邊の一の字が登場します。 -

黒川道祐の「日次紀事(にちじきじ)」と五山送り火・大文字
五山送り火は古くから行われていると言われているが、起源は明確ではありません。黒川道祐が1676年(延宝4年)に刊行した「日次紀事」には大文字の字は相国寺79世・横川景三または弘法大師・空海のものと記されています。 -

神沢貞幹(かんざわていかん)の「翁草」と五山送り火
五山送り火は古くから行われていると言われているが、いつから始まったかは明確ではありません。鳥居形は文献上の資料が少ないが、1791年(寛政3年)に随筆家・神沢貞幹が刊行した「翁草」にも大文字などとともに記されています。 -

山本泰順(やまもとたいじゅん)の「洛陽名所集」と五山送り火
五山送り火は古くから行われていると言われているが、いつから始まったかは明確ではありません。五山送り火は1658年(万治元年)に漢学者・山本泰順が刊行した地誌「洛陽名所集」の「如意寶山」の項目に記されています。 -

鳳林承章(ほうりんじょうしょう)の「隔めい記」と五山送り火
五山送り火は古くから行われていると言われているが、いつから始まったかは明確ではありません。金閣寺近くの左大文字(万灯籠)について記されている文献には江戸時代前期に金閣寺住持・鳳林承章が記した「隔めい記」があります。 -

万灯会(まんとうえ)・織田信長(おだのぶなが)と五山送り火
五山送り火は古くから行われていると言われているが、いつから始まったかは明確ではありません。五山送り火は戦国時代に行われた万灯会が変化したものとも言われています。1581年(天正9年)7月15日には織田信長が万灯会を行ないました。











