南観音山(ちまき販売日程・ご利益・・・)祇園祭後祭山鉾

南観音山
南観音山(ちまき販売日程・ご利益・マップ)を紹介しています。南観音山のちまき販売は例年7月21日から23日(宵山)です。(要確認)ただ別の日程で行われることもあります。南観音山は例年7月23日にあばれ観音が行われます。
★南観音山のちまき販売(前年):7月14日~16日(11:00~17:00)・17日(11:00~14:00)・21日~23日(12:00~21:00)(変更・中止等あり)
★祇園祭2024は最新情報。
【祇園祭ちまき販売(後祭) 販売日・時間(要確認)】
祇園祭ちまき販売(後祭)は例年7月21日~23日です。一部の山鉾町では7月20日から始まります。ネットでちまき販売が行われることもあります。
祇園祭ちまき販売(後祭)
●祇園祭の主要行事の日程を確認できます。(下記リンク参照)
祇園祭2024日程一覧(宵山屋台・山鉾巡行・・・)
【南観音山の場所位置 マップ・アクセス】
場所・・・京都府京都市中京区新町通錦小路上る百足屋町
位置・・・新町通(南北)・蛸薬師通(東西)交差点の南約80メートルの新町通
最寄り駅・バス停・・・四条駅(徒歩約6分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅からは地下鉄烏丸線
●祇園祭山鉾マップ(後祭)by グーグルマップ
【ちまき(粽)などの授与品】
ちまき(粽)・手拭・扇子など
【搭乗(要確認)】
搭乗するには拝観券を購入する必要があります。
【ご利益】
確認中
【南観音山 歴史・簡単概要】
南観音山(読み方:みなみかんのんやま)は起源が明確ではありません。南観音山は室町時代中期の応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))前の山鉾と地名を記した「祗園社記(ぎおんしゃき)」第15(八坂神社記録)には「普陀落山(錦小路町と四条坊門間)」と記され、応仁の乱前には既に創建されていたと言われています。応仁の乱頃から隣町の北観音山(きたかんのんやま)と一年交代で巡行していたが、明治時代から北観音山とともに毎年巡行するようになりました。ちなみに南観音山はかつて舁山(かきやま)だったが、曳山(ひきやま)に改められました。なお南観音山はかつては下り観音山とも言われていました。
南観音山は楊柳観音像(ようりゅうかんのんぞう)と脇侍・善財童子像(ぜんざいどうし)を祀っていることに由来しています。楊柳観音像は恵心僧都(えしんそうず)・源信(げんしん)作と言われていたが、江戸時代後期の1788年(天明8年)に天明の大火によって頭部以外が焼失し、その後復元されました。楊柳観音は三十三観音(さんじゅうさんかんのん)の一観音で、病苦からの救済を使命(本誓(ほんぜい))としています。楊柳観音は右手に柳の枝を持っていることから楊柳観音と言われています。ただ柳の枝を水瓶に差している場合もあります。善財童子は華厳教(けごんきょう)の説話・入法界品(にゅうほっかいぼん)に記された童子の姿をした菩薩です。善財童子は法を求めて、南へ南へと53人の聖者(善知識・ぜんちしき)を訪ね、28番目の南海の辺に住む美しい観音にはあらゆる苦悩から人々を救うことを教えられ、最後の普賢菩薩(ふげんぼさつ)からは十大願を聞き、阿弥陀浄土(あみだじょうど)に往生することを願うようになりました。善財童子は仏法修業の段階を表し、また指南・東海道五十三次の語源にもなっているそうです。
観音菩薩は観世音菩薩・観自在菩薩・救世菩薩・観音さまなどとも言われています。観音菩薩は人々の救いを求める声を聞き、その苦悩から救済すると言われています。観音菩薩は救う相手の姿に応じて千変万化の相となると言われています。「観音経」では様々に姿を変える三十三応化身が説かれています。
南観音山は交差点で辻回しを行う後祭の大型の山鉾で、くじ取らず(2番目または6番目の隔年)です。祇園囃子を奏でる囃子方がいます。
*参考・・・南観音山
【特徴・懸装品(変更の場合あり)】
- 南観音山は高さ約17.24メートル・長さ約6.55メートル・幅約4.45メートル・総重量約9.54トン・最小回転半径約5.90メートルです。
- 真松(松の木)は舁山の頃の名残りで、松の横枝には尾長鳥(おながどり)を付けています。なお松の木は南観音山と北観音山のものが鳴滝から毎年二本届けられ、7月19日の松取式でクジを引いて選びます。クジで勝った山は「良い松を選べた。」、クジで負けた山は「良い松を残してもらった。」と言うことが慣例になっています。
- 御神体の楊柳観音像は鎌倉時代に造られたが、江戸時代後期の1788年(天明8年)の天明の大火によって頭胸部だけが焼失を免れました。焼失した部分は善財童子像とともに江戸時代に造られました。なお楊柳観音像は宵山の23日深夜に布で台座に縛り付けられ、町内を走り回るあばれ観音が行われます。あばれ観音は南観音山だけの独特の行事です。
- 天水引の四神の図は塩川文麟(しおかわぶんりん)の下絵で、近年レプリカに代えられました。下水引の飛天奏楽(ひてんそうがく)は加山又造(かやままたぞう)の原画です。見送は中国・明時代の雲中青海波文様(うんちゅうせいがいはもんよう)の綴錦(つづれにしき)だったが、1988年(昭和63年)に加山又造作の王渡海図に代えられました。後懸のインド絨毯は江戸時代から使われていたが、2010年(平成22年)にイラン・ミリー工房で作られた中東連花水辺に魚文様絨毯に代えられました。なお旧打敷には江戸時代中期の1684年の年号があり、年号があるものとして日本最古のインド更紗(さらさ)と言われているそうです。
- 祇園囃子には「渡り地囃子」・「渡り壱番」・「渡り貮番」・「渡り参番」・「神楽」・「藤」・「壱番」・「貮番」・「参番」・「四番」・「五番」・「六番」・「七番」・「八番」・「九番」・「十番」・「朝日」・「長」・「於蝶」・「四季踊り」・「牡丹」・「於福」・「阿蘭陀」・「長月」・「翁」・「浪」・「千鳥」・「御影」・「花」・「柳」・「龍」・「横」・「豊年」・「百」・「日和神楽」などの曲目があります。
【行事・イベント(要確認)】
- 7月19日の松取式では北観音山・南観音山が鳴滝で伐採された2本の真松をジャンケン・くじ引きで選びます。
- 7月20日の曳き初めでは7月24日の山鉾巡行(後祭)に先立って、組み立てられたばかりの南観音山を本番さながらに動かします。
- 7月21日~7月23日の宵山では夕方から駒形提灯を灯し、祇園囃子を奏でます。
- 7月23日の日和神楽では囃子方が祇園囃子を奏でながら山鉾町から八坂神社御旅所に向かい、祇園囃子を奉納して晴天を祈願します。
- 7月23日のあばれ観音では御神体・楊柳観音像を蓮台にぐるぐる巻にし、町内を回ります。日和神楽が終わった直後に行われます。
- 7月24日の山鉾巡行では烏丸御池から御池通・河原町通・四条通の順に巡行します。
【祇園祭 歴史・簡単概要】
祇園祭は平安時代前期の869年(貞観11年)に全国に疫病が流行し、牛頭天王の祟りであるとし、卜部日良麿が神泉苑に国の数と同じ66本の鉾を立て、悪霊を移して穢れを祓い、薬師如来の化身とされる牛頭天王を祀り、更に牛頭天王を主祭神とする八坂神社から3基の神輿を送り、病魔退散を祈願した祇園御霊会が起源と言われています。その後平安時代中期の970年(天禄元年)から例年6月14日に行われるようになりました。
祇園祭歴史年表・由来(869年~)
【南観音山 備考(要確認)】
●ちまき販売などの日程時間は必ず確認して下さい。
祇園祭2024日程(ちまき販売・宵山屋台・・・)
●祇園祭山鉾の名称・読み方・由緒・ちまき(粽)などの情報を確認できます。
祇園祭山鉾一覧