孟宗山(ちまき販売日程・ご利益・・・)祇園祭前祭山鉾
孟宗山
孟宗山(ちまき販売日程・ご利益・マップ)を紹介しています。孟宗山は重さが1トン未満の小型の山鉾で、孟宗山は中国の史話「二十四孝」の一人である孟宗が病身の母が欲しがった筍を真冬の雪の中から掘り当てたことに由来しています。孟宗山は筍山(笋山)とも言われています。
★ちまき販売(前祭)は例年宵山の7月14日~16日で、一部の山鉾で7月13日から始まります。ネット販売を行う山鉾もあります。
祇園祭ちまき販売(前祭)
★祇園祭最新情報。
【孟宗山の場所位置 マップ・アクセス】
場所・・・京都府京都市中京区烏丸錦小路下る笋町(たかんなちょう)
位置・・・烏丸通(南北)・四条通(東西)交差点の北約40メートルの烏丸通
最寄り駅・バス停・・・四条駅(徒歩約3分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅からは地下鉄烏丸線
●祇園祭山鉾マップ(前祭)by グーグルマップ
【ちまき(粽)などの授与品】
ちまき(粽)・手拭・扇子・絵葉書など
【搭乗(要確認)】
–
【ご利益】
親孝行
【孟宗山 歴史・簡単概要】
孟宗山(読み方:もうそうやま)は起源が明確ではありません。孟宗山は室町時代中期の応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))前の山鉾と地名を記した「祗園社記(ぎおんしゃき)」第15(八坂神社記録)には「まうそ山(錦少路烏丸と四條間)」と記され、応仁の乱前には既に創建されていたと言われています。
孟宗山は中国の史話「二十四孝(にじゅうしこう)」の一人である孟宗が病身の母が食べたかった筍(たけのこ)を真冬の雪の中から掘り当てた古事に由来しています。孟宗は幼くして父を亡くし、年老いた母を養っていました。その母が病気になり、ある冬の日に筍が食べたいと言ったことから竹林に出掛けて雪を掘りました。しかし冬場に筍があるはずもなく、孟宗は涙ながらに天に祈ると雪が融け、土の中から筍がたくさん出てきました。孟宗は持って帰った筍で熱い汁物を作り、病身の母に食べさせると病が治って、天寿を全うしたそうです。なお孟宗山は筍山(たけのこやま)・笋山(たけのこやま)とも言われています。孟宗山がある町名がたけのこの意味する笋町ことから孟宗の古事を取り入れたとも言われているそうです。
「二十四孝」は元(中国)代の郭居敬が編纂しました。「二十四孝」は後世の模範となるように孝行に優れた24人を取り上げています。「二十四孝」には陸績・田真兄弟・たん子・蔡順・閔子騫・黄香・呉猛・楊香・張孝兄弟・丁蘭・王ほう・王祥・姜詩・孟宗・郭巨・董永・舜・漢文帝・山谷・ゆ黔婁・朱寿昌・曾参・唐夫人・老らい子があります。
*参考・・・孟宗山
【特徴・懸装品(変更の場合あり)】
●孟宗山は総重量約0.54トンです。(2008年測定)
●御神体・孟宗の像は唐人(とうじん)衣裳に笠を付け、右手に雪を被った筍、左手は鍬を持って肩に担いでいます。なお御神体は一度焼損し、江戸時代後期の1796年(寛政8年)に七条大仏師・康朝左京が作ったと言われています。
●欄縁(らんぶち)の彫金群鳥図の金具は幸野楳嶺(こうのばいれい)の下絵、見送は雲龍文様(うんりゅうもんよう)の綴錦(つづれにしき)だったが、1940年(昭和15年)から竹内栖鳳(たけうちせいほう)筆の白地墨画竹林図(しろぢぼくがそうちくず)に代えられました。墨画は他の山鉾の懸装品に比べると地味だが、その分異彩を放っているとも言われています。なお胴懸は江戸時代後期の1808年(文化5年)に作られた仙境山水人物図の綴織だったが、平山郁夫(ひらやまいくお)筆の砂漠らくだ行(日)・砂漠らくだ行(月)が2008年(平成20年)と2009年(平成21年)に新調されて代えられました。
【行事・イベント(要確認)】
●7月14日~7月16日の宵山では夕方から駒形提灯を灯し、祇園囃子を奏でます。
祇園祭宵山(前祭)
●7月17日の山鉾巡行では四条烏丸から四条通・河原町通・御池通の順に巡行します。
祇園祭山鉾巡行(前祭)
★祇園祭の主要行事の日程を確認できます。(下記リンク参照)
祇園祭2025日程一覧(宵山屋台・山鉾巡行・・・)
【孟宗山 備考(要確認)】
●ちまき販売などの日程時間は必ず確認して下さい。
祇園祭2025日程(ちまき販売・宵山屋台・・・)