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過去の記事一覧
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由岐神社の歴史-修学旅行・観光の簡単解説
由岐神社の歴史を簡単にまとめています。由岐神社は938年(天慶元年)に大地震、939年(天慶2年)に平将門の乱が起こり、940年(天慶3年)に朱雀天皇の勅により、宮中に祀られてた由岐大明神を遷したのが起源です。 -

左甚五郎(ひだりじんごろう)・鯉山(こいやま)と祇園祭
鯉山の御神体である鯉と波は江戸時代前期に活躍した宮大工・彫刻師である左甚五郎が制作したと言われています。鯉は全長約1.5メートルで、木片の材質調査により、素材は1650年(慶安3年)頃の檜であることが判明しました。 -

藤原為隆(ふじわらのためたか)の「永昌記」と祇園祭
藤原為隆は第72代・白河天皇、白河天皇の子である第73代・堀河天皇、白河天皇の孫である第74代・鳥羽天皇、白河天皇の曽孫である第75代・崇徳天皇に仕えました。藤原為隆は日記「永昌記」を記し、白河院政期の政務などが記されています。 -

吉田兼見(よしだかねみ)の「兼見卿記」と祇園祭
吉田神社の神主(祠官)・吉田兼見は従兄弟で、織田信長の家臣・細川藤孝(細川幽斎)や室町幕府15代将軍・足利義昭、織田信長、明智光秀、関白・豊臣秀吉などと親交があり、織豊政権期の政治情勢などを知ることができます。 -

瀧樹神社(たぎじんじゃ)のケンケト踊りと祇園祭
四条傘鉾の棒振り踊りは瀧樹神社のケンケト踊りを参考に復元されました。四条傘鉾は1871年(明治4年)を最後に中絶し、1985年(昭和60年)に傘鉾が再興され、1988年(昭和63年)に棒振り囃子と囃子が復元されました。 -

社家条々記録(しゃけじょうじょうきろく)」と祇園祭
「社家条々記録」は1323年(元亨3年)に祗園社執行・晴顕が記した記録です。執行は八坂神社の運営の中心で、人事権を持ち、恒例・臨時の法会や神事の準備を公人に命じました。執行は神官でもり、仏僧でもあり、外見は僧形でした。 -

「祇園社本縁録(ぎおんしゃほんえんろく)」と祇園祭
「祇園社本縁録」は江戸時代(1603年~1868年)に成立し、八坂神社・祇園祭・大政所御旅所の起源などが記されていました。ただ「祇園社本縁録」は現在、失われており、見ることはできません。 -

田楽(でんがく)・永長の大田楽と祇園祭
祇園祭にはかつて田楽や馬長・童・巫女などが様々な人々が参加していました。1096年(永長元年)は京都で田楽が爆発的に流行して人々が熱狂し、「永長の大田楽」とも言われ、祇園祭でも田楽が参加した記録が残されています。 -

京の夏の旅2025年7月11日~9月30日(文化財特別公開)
京の夏の旅・非公開文化財特別公開は1976年(昭和51年)に始まり、夏の京都の魅力を発信しています。夏の京都は2025年(令和7年)に50回目を迎え、「昭和100年」という節目の年に因んで、近代京都の名建築と夏に訪ねたい水景をテーマに行われます。 -

1678年(延宝6年)の「京雀跡追(きようすずめあとおい)」と祇園祭
「京雀跡追」は1678年(延宝6年)に刊行されました。「京雀跡追」は著者が不詳で、当初上下二冊で構成されていたと言われています。「京雀跡追」は1664年(寛文4年)に刊行された「京雀」の記述を取り入れながら増補が加えられました。 -

壬生晴富の「晴富宿禰記(はるとみすくねき)」と祇園祭
壬生晴富は応仁の乱の最中である1468年(応仁2年)に左大史に任ぜられ、日記「晴富宿禰記」では応仁の乱後の室町幕府の政治や室町幕府10代将軍・足利義稙と室町幕府11代将軍・足利義澄の関係などを知ることができます。 -

室町幕府11代将軍・足利義澄(あしかがよしずみ)と祇園祭
室町幕府11代将軍・足利義澄は1495年1月23日(明応3年12月27日)に将軍に就任し、1508年5月15日(永正5年4月16日)まで勤めました。足利義澄は将軍在職中の1500年(明応9年)に祇園祭を見物したと言われています。
















