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過去の記事一覧
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俳諧師・松尾芭蕉(まつおばしょう)と祇園祭
松尾芭蕉は1690年(元禄3年)4月6日から7月23日までは近江の弟子で、膳所藩士・菅沼曲翠の勧めにより、滋賀郡国分の幻住庵に滞在して静養しました。ただ静養中も6月上旬頃に京都に行き、「猿蓑」を企画し、6月18日まで京都に滞在しました。 -

三条西実隆(さんじょうにしさねたか)の「実隆公記」と祇園祭
三条西実隆は後土御門天皇、後柏原天皇、後奈良天皇の3代に仕え、足利義政、足利義澄らと親交があり、肖柏・飯尾宗祇らの文化人と交流し、「実隆公記」には朝廷・公家・幕府・戦国大名の動向など様々な事項が記されています。 -

祇園祭八坂礼拝講2026年7月21日(比叡山延暦寺)
祇園祭八坂礼拝講(日程・時間・・・)を紹介。八坂礼拝講では疫病退散・国家安寧・世界平和を祈願します。八坂礼拝講では八坂神社の宮司が祝詞を奏上し、次に天台座主が祭文を読み上げ、その後延暦寺の僧侶が独特の節回しで「法華経」の問答を行います。 -

出町ふたば(アクセス・歴史概要・・・)名代豆餅
出町ふたばの名代豆餅はお餅に滋賀産の羽二重もち米、餡に北海道十勝産の小豆、豆に北海道産の赤えんどう豆を使用しています。蒸したもち米を2度に分けて撞くことで柔らかな食感になり、餡を素早く包むことで風味を保つそうです。 -

黒川道祐(くろかわどうゆう)の「日次記事」と祇園祭
広島藩主・浅野家の典医で、1673年(延宝元年)から京都洛中に住した歴史家・黒川道祐が1685年(貞享2年)に京都を中心とする朝野公私の年中行事を解説した解説書「日次紀事」を記し、祇園祭・鴨川納涼床などが記されています。 -

鯉山のタペストリー(飾毛綴)と祇園祭
鯉山のタペストリーはベルギー・ブリュッセルで製造され、桃山時代から江戸時代前期に対外貿易によって日本に伝えられたと言われています。また江戸時代前期に支倉常長がヨーロッパから持ち帰ったという伝承も残されています。 -

中川喜雲(なかがわきうん)の「案内者」と祇園祭
俳人・仮名草子作者である中川喜雲は1662年(寛文2年)に京都の観光ガイドブック「案内者」を刊行し、祇園祭・五山送り火などが記されています。祇園祭神幸が行われる6月7日の夜に四条から三条にある茶屋が床を設置していたことが分かります。 -

万里小路時房(までのこうじときふさ)の「建内記」と祇園祭
内大臣・万里小路時房は室町時代(1336年~1573年)中期に第100代・後小松天皇の側近として活躍するだけでなく、武家伝奏・南都伝奏も務めたこともあり、「建内記」には室町幕府や公武の動向などが記されています。 -

広橋経光の「民経記(みんけいき)」と祇園祭
権中納言民部卿・広橋経光は一条家・二条家・九条家・鷹司家とともに五摂家に数えられた近衛家の執事を務めたこともあり、鎌倉時代中期の公家社会の動向・行事などが記されています。「民経記」には祇園祭なども記されています。 -

源師時(みなもとのもろとき)の「長秋記」と祇園祭
権中納言・源師時は平安時代(794年~1185年)後期の公卿・歌人で、父・源俊房とともに有職故実に通じ、日記「長秋記」は院政期の朝儀典礼などを知る資料になっています。また「長秋記」には祇園祭なども記されています。 -

広橋綱光(ひろはしつなみつ)の「綱光公記」と祇園祭
公卿・広橋綱光は室町時代(1336年~1573年)中期に家職であった武家伝奏を務めたこともあり、「綱光公記」には朝廷だけでなく、室町幕府など武家の出来事などが記されています。また室町時代に人気だった祇園祭も記されています。 -

「賢俊の「賢俊僧正日記(けんしゅんそうじょうにっき)」と祇園祭
醍醐寺65代座主・賢俊は室町幕府初代将軍・足利尊氏や北朝第2代・光明天皇、北朝第3代・崇光天皇、北朝第4代・後光厳天皇の護持僧だったことから「賢俊僧正日記」に足利尊氏や室町幕府などが記されています。















