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過去の記事一覧
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黒川道祐の「雍州府志(ようしゅうふし)」と五山送り火
五山送り火は起源が明確ではないが、江戸時代(1603年~1868年)以降に書物・古文書などに記録・絵などが多く残されています。1686年(貞享3年)に黒川道祐が刊行した「雍州府志」には大文字の大きさなどが記されています。 -

日像上人(にちぞうしょうにん)・妙法と五山送り火
五山送り火の中には起源が明確ではないものもあるが、妙法の内、「妙」は鎌倉時代(1185年~1333年)末期に日蓮宗の僧・日像上人、「法」は江戸時代(1603年~1868年)に大妙寺の僧・日良上人が始めたと涌泉寺の寺伝に記されています。 -

本居宣長(もとおりのりなが)の「在京日記」と五山送り火
五山送り火は起源が明確ではないが、江戸時代以降に古文書・書物などに記録・絵などが残されています。京都に遊学していた国学者・医師である本居宣長は1756年(宝暦6年)に大文字を見物したことを「在京日記」に記しています。 -

折上稲荷神社の歴史-修学旅行・観光の簡単解説
折上稲荷神社の歴史を簡単にまとめています。折上稲荷神社は境内に稲荷塚があり、稲荷大神の前身・田の神が祀られていた聖地です。折上稲荷神社は711年(和銅4年)に稲荷大神が西野山の三の峯に降臨した際、稲荷塚にも降臨したのが起源と言われています。 -

近衛信尹(このえのぶただ)・大文字と五山送り火
五山送り火の内、大文字には真言宗の宗祖である弘法大師・空海が始めたという説、室町幕府8代将軍・足利義政が始めたとする説、公家・近衛信尹が始めたという説があり、中川喜雲刊行の「案内者」に近衛信尹説が記載されています。 -

横川景三(おうせんけいさん)・大文字と五山送り火
五山送り火の内、大文字の筆画には真言宗の宗祖である弘法大師・空海説、相国寺79世・横川景三説などがあります。黒川道祐が1676年(延宝4年)に刊行した「日次紀事」には弘法大師・空海説と横川景三説が記されています。 -

弓箭閣(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
弓箭閣は例年、7月1日から31日に行われている祇園祭期間中に一般公開され、虫干しを兼ねて大将印・御使武者印など約10領の甲冑が飾られます。また弓箭閣では甲冑以外にも古文書・古地図・写真なども展示されます。 -

六孫王神社の歴史-修学旅行・観光の簡単解説
六孫王神社の歴史を簡単にまとめています。六孫王神社は963年(応和3年)9月に「六孫王」とも言われた源経基の長子・源満仲が源経基の遺骸を当地に埋葬し、その前に社殿を建立したのが起源です。本殿後方に石積の神廟があります。 -

乙訓寺の歴史-修学旅行・観光の簡単解説
乙訓寺の歴史を簡単にまとめています。乙訓寺は603年(推古天皇11年)頃に第31代・用明天皇の第2皇子・聖徳太子が第33代・推古天皇の勅願によって創建したとも言われています。十一面観世音菩薩を本尊とする伽藍が建立されたと言われています。 -

車折神社の歴史-修学旅行・観光の簡単解説
車折神社の歴史を簡単にまとめています。車折神社は1189年(文治5年)に清原頼業が亡くなり、清原家の領地だった現在の場所に廟が建立されたのが起源と言われています。その後清原家の菩提寺となる宝寿院が創建されました。 -

1714年(正徳4年)の「都名所車(みやこめいしょぐるま)」と祇園祭
「都名所車」は江戸時代中期の1714年(正徳4年)に刊行され、洛中洛外の寺社の由来などが記載されています。旅行者が巡りやすいように寺社などが配列されています。「都名所車」には八坂神社(祇園社)も掲載されています。 -

室町幕府初代将軍・足利尊氏(あしかがたかうじ)と祇園祭
室町幕府初代将軍・足利尊氏が1338年(延元3年・暦応元年)に北朝第2代・光明天皇から征夷大将軍に任命されて室町幕府を開くと南北朝時代から室町時代に足利将軍が祇園祭を見物した記録が多く残されています。

















