京都十六社朱印めぐり(例年1月1日~2月15日)あらゆるご利益

京都十六社朱印めぐり
京都十六社朱印めぐり(日程・時間・・・)を紹介しています。京都十六社朱印めぐりは例年1月1日から2月15日に行われています。京都十六社朱印めぐりでは新春に16の神社をめぐることにより、1年間にあらゆるご利益が得られると言われています。京都十六社朱印めぐりでは今宮神社・敷地神社(わら天神宮)・上御霊神社・市比売神社・熊野神社・岡崎神社・若王子神社・豊国神社・粟田神社・新熊野神社・六孫王神社・吉祥院天満宮・藤森神社・御香宮神社・西院春日神社・長岡天満宮をめぐります。(詳細下記参照)
【京都十六社朱印めぐり 日程時間(要確認)】
京都十六社朱印めぐりは例年1月1日~2月15日9:00~17:00まで行われます。
*参考・・・京都十六社朱印めぐりホームページ
【京都十六社朱印めぐり マップ・地図】
【京都十六社朱印めぐり 歴史・簡単概要】
京都十六社朱印めぐりでは新春に16の寺社をめぐることにより、1年間にあらゆるご利益が得られると言われています。京都十六社朱印めぐりでは今宮神社(健康長寿・良縁開運)・敷地神社(子授け・安産・厄除)・上御霊神社(心鎮め・厄除・学業成就)・市比売神社(女人厄除)・熊野神社(縁結び・安産・病気平癒)・岡崎神社(縁結び・子授け・安産・厄除)・若王子神社(学業成就・商売繁昌)・豊国神社(出世開運・厄除招福・良縁成就・商売繁盛)・粟田神社(旅立守護・厄除)・新熊野神社(健康長寿・病魔退散・お腹守護)・六孫王神社(出世開運・家運隆)・吉祥院天満宮(ちえと能力開発・受験合格・開運招福)・藤森神社(学問・勝運)・御香宮神社(安産・厄除・病気平癒)・西院春日神社(厄除・病気平癒・交通旅行安全)・長岡天満宮(合格祈願・厄除・開運)をめぐります。
【今宮神社(いまみやじんじゃ)】
今宮神社は794年(延暦13年)の桓武天皇による平安京遷都以前から疫病鎮めの為の疫神を祀っていた場所です。今宮神社は1001年(長保3年)に疫病が流行し、朝廷は疫神を船岡山から現在の場所に移し、神殿を建立して今宮社と名付けたのが起源と言われています。
今宮神社(アクセス・マップ・・・)
【わら天神宮(わらてんじんぐう)・敷地神社(しきちじんじゃ)】
わら天神宮は元々、衣笠村に降臨した天神地祇が北山の神として祀られていた場所と言われています。1397年(応永4年)に室町幕府3代将軍・足利義満が山荘・北山殿(金閣寺)を造営した際、北山の神と木花開耶姫命を合祀し、現在の場所に遷して鎮守神としました。
敷地神社(アクセス・マップ・・・)
【上御霊神社(かみごりょうじんじゃ)】
上御霊神社は794年(延暦13年)の平安京遷都の際、崇道天皇を平安京の守り神として祀ったのが起源と言われています。その後井上大皇后・他戸親王・藤原大夫人・橘大夫・文大夫・火雷神・吉備大臣を合祀しました。1467年(文正2年)に畠山政長と畠山義就の私闘が行われ、応仁の乱の勃発地とされています。
上御霊神社(アクセス・マップ・・・)
【市比売神社(いちひめじんじゃ)】
市比売神社は795年(延暦14年)に藤原冬嗣が桓武天皇の命により、官営市場の東市・西市の守護神として創建しました。その後1591年(天正19年)に関白・豊臣秀吉の命により、現在の場所に移りました。1927年(昭和2年)に中央卸売市場が開設された際、市場の守護神として分社・市姫神社が祀られました。
市比売神社(アクセス・マップ・・・)
【熊野神社(くまのじんじゃ)】
熊野神社は811年(弘仁2年)に修験道の祖である役行者・役小角の十世僧・日円上人が紀州・熊野権現(熊野大神)を勧請したのが起源とも言われています。1090年(寛治4年)に白河上皇の勅願によって聖護院が創建されると聖護院の守護神になり、別当職が置かれました。
熊野神社(アクセス・マップ・・・)
【岡崎神社(おかざきじんじゃ)】
岡崎神社は794年(延暦13年)の平安京遷都の際、王城鎮護の為に平安京の四方に創建された一社です。当初、平安京の東に位置したことから東天王と言われていました。869年(貞観11年)に清和天皇が社殿を再建し、播磨広峰から素戔嗚尊などを勧請し、東光寺の鎮守社になったと言われています。
岡崎神社(アクセス・マップ・・・)
【熊野若王子神社(くまのにゃくおうじじんじゃ)】
熊野若王子神社は社伝によると1160年(永暦元年)に後白河上皇が紀州・熊野三所権現を勧請し、永観堂(禅林寺)の守護神として創建したのが起源と言われています。熊野若王子神社の社名は天照大神の別称である若一王子に由来しているそうです。
若王子神社(アクセス・マップ・・・)
【豊国神社(とよくにじんじゃ)】
豊国神社は1598年(慶長3年)に亡くなった豊臣秀吉の遺体が遺命により、東山阿弥陀ヶ峰に葬られ、その麓に廟所が建立されたのが起源です。豊臣家が滅亡すると徳川家康が後水尾天皇の勅許を得て、秀吉の神号「豊国大明神」を剥奪し、社殿を取り壊して、秀吉の霊を方広寺大仏殿裏手に建てた五輪石塔に移しました。
豊国神社(アクセス・マップ・・・)
【粟田神社(あわたじんじゃ)】
粟田神社は粟田氏が氏神として祀ったのが起源とも言われています。また876年(貞観18年)に清和天皇が兵火や疫病に対する勅を発し、全国の諸神にお供えをし、国家と民の安全を祈願させた際、大己貴命からの神告により、八坂神社の素戔鳴尊に縁がある現在の場所に創建されたとも言われています。
粟田神社(アクセス・マップ・・・)
【新熊野神社(いまくまのじんじゃ)】
新熊野神社は1160年(永暦元年)に後白河上皇が離宮・法住寺殿を造営した際、平清盛・平重盛父子に命じ、鎮守社として熊野の神を勧請したのが起源と言われています。応仁の乱などの兵火で荒廃したが、江戸時代初期に後水尾天皇の中宮・東福門院(徳川和子)が再建しました。
新熊野神社(アクセス・マップ・・・)
【六孫王神社(ろくそんのおうじんじゃ)】
六孫王神社は社伝によると清和天皇の皇子・貞純親王の子で、「六孫王」とも言われた源経基の邸宅・八条亭があった場所です。六孫王神社は963年(応和3年)に経基の嫡子・源満仲が経基の墓所を建立し、その前に社殿を建立したのが起源と言われています。
六孫王神社(アクセス・マップ・・・)
【吉祥院天満宮(きっしょういんてんまんぐう)】
吉祥院天満宮は794年(延暦13年)の平安京遷都の際、菅原道真の曽祖父・土師古人が天皇から賜って邸を構えた場所です。その後道真の祖父・菅原清公が遣唐使として唐に向かう際に嵐に遭ったが、吉祥天女の霊験によって難を逃れ、菅原家では吉祥天を信仰するようになり、自邸内を吉祥院に改めました。
吉祥院天満宮(アクセス・マップ・・・)
【藤森神社(ふじのもりじんじゃ)】
藤森神社は社伝によると203年(神功皇后摂政3年)に仲哀天皇の后・神功皇后が三韓征伐から凱旋した際、深草の里の藤森に纛旗を立て、兵具を納めて塚を造ったのが起源と言われています。816年(弘仁7年)に伏見稲荷大社の社殿が稲荷山から山麓に建立されたことから現在の場所に移ったと言われています。
藤森神社(アクセス・マップ・・・)
【御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ)】
御香宮神社は起源が明確ではありません。当初、御諸神社と称したと言われています。862年(貞観4年)に椎の木の根元から香水が湧いたことから清和天皇から「御香宮」の名称を賜り、その後平安時代後期から鎌倉時代に天皇がしばしば社殿を建立したとも言われています。
御香宮神社(アクセス・マップ・・・)
【西院春日神社(さいいんかすがじんじゃ)】
西院春日神社は833年(天長10年)に淳和天皇が退位し、離宮・淳和院に移る際、勅諚によって奈良・春日大社の春日四座大神を勧請し、守護神としたのが起源です。淳和天皇の皇女・崇子内親王が天然痘(疱瘡)になった際、霊石・疱瘡石に祈願したところ天然痘が治り、病気平癒のご利益があると言われています。
西院春日神社(アクセス・マップ・・・)
【長岡天満宮(ながおかてんまんぐう)】
長岡天満宮は平安時代に菅原道真の所領だった場所です。901年(延喜元年)に道真が藤原時平の讒言によって太宰府に左遷された際、この地に立ち寄って高槻まで付き従った中小路宗則に自作の木像と念持仏を託し、903年(延喜3年)の道真の死後に木像を祀る祠が建てられたのが起源と言われています。
長岡天満宮(アクセス・マップ・・・)
【京都十六社朱印めぐり 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
京都十六社朱印めぐりでは朱印料が1社300円になります。(要確認)なお期間中に16社全部で、専用の朱印帳にご朱印を受けると干支置物が授与されます。(要確認)